2006-01-01から1ヶ月間の記事一覧

Dan Kogai:「経済学はじめの一冊」*2

「経済学的思考のセンスがある人」とは、インセンティブの観点から社会を視る力と因果関係を見つけ出す力を持っている人だと筆者は考えている。 「因果関係を見つけ出す力」というのは、経済学のみならぬ科学的センスといっていいだろう。だから、経済学を特…

鈴木健:「なめらかな社会とその敵」

この世の中には二つのタイプの人がいる。世界に根拠があると信じる人と、世界は無根拠だと信じる人である。後者のタイプはさらに二つのタイプに分かれる。過去や現在の世界の無根拠性を暴くことに喜びを覚える人と、無根拠であるが故に新しい秩序を生み出そ…

スラヴォイ・ジジェク:「資本主義の論理は自由の制限を導く」*1(id:fenestraeさん)

哲学者として、私の民族的・政治的義務は、解答を与えることにではなく、神秘化された問題を新しく定義しなおすこと、そして、アラン・バディウ Alain Badiou が「問題の現われる場所」と呼んだところのものを見つけることにある。それは、なんらかの可能性…

 メモ

「当事者語り」と「私小説」

いわゆる「当事者本」を出した私にとっては、「誰にどの程度までなら話していいのか」が常に問題だが、逆に言えば、「すべてぶちまけてやる」というナルシシズムにも問題があるのではないか。「すべて言ってしまった」と思える程度のことは、おそらく本人に…

玄田有史氏:「「いいかげん」であることの大切さを科学的に証明する」

「ちゃんといいかげんに生きよう」というメッセージは、それ自体を「いいかげん」に取ることは禁じている。 そもそも、メッセージを真面目に受け取りすぎる主体事情への「最初の一撃」が目指されている。 「順応しようとすればするほどできなくなる」という…

《当事者》――「社会」「身体」「受動的内面」

《当事者性》として切り分けられる属性には、膨大な数がある。政治や司法における「紛争当事者」には様々あるし、「不登校」「ひきこもり」「犯罪被害」「女性」「在日」「高齢者」「同性愛」「摂食障害」「被差別部落」「ホームレス」「障害者」「フリータ…

社会問題と言説生産

社会的な問題が扱われるときには、《言葉》が媒介となる。 というより、「それについて考える」という営みは、公私を問わず「問題化する言葉の生産」なのだから、特定の問題をめぐる言説生産は、それ自体が重要な社会的任務(仕事)であり得る。 ▼その問題に…

《社会参加》――人文系・社会科学系・医療系

「ニート」は、《人文系》と《社会科学系》の交点に位置する議論・課題であるため*1、非常に難しい。 【玄田有史氏と本田由紀氏の緊張関係。 「若者問題」と「雇用・労働問題」。 社会学者と経済学者。 「教育」の問題。 ▼「動機付け」と「システム設計」。…

 業界メモ

「同質性の重み」(id:Arisanさん)

「当事者」というポジションを引き受けることは、強烈な転移関係の磁場に巻き込まれることを意味する。「当事者」と名乗ることで得られるポジションはあるが、それによって引き受けざるを得なくなるトラブルも増える。要するに、「仲間の一人」と見られるこ…

言説生産と外部

《当事者》は、そのつど「議論」として「生産」される。 苦しさが「問題」として社会的に構成されるためには、「当事者業界内部のメディア」に載っているだけでは話にならない。 それだけでは、業界内部の自慰的確認儀式で終わる*1。――しかしこれを口にする…

存在

私の発言が、あり得る最悪の解釈(要するに「言いがかり」)において流通してゆく。 その解釈の基本姿勢は《嫉妬と不寛容》であり、結果として私を《道具化》している。 活動における最悪の要素は、むしろ身内にあると感じられる。 最も許しがたいと思ったこ…

「患者になれない」*3

貧困によって医療行為の対象になれない病人は、「患者」ではない。 そこでは、「患者になれる者」が嫉妬の対象になり得る。 ▼「単なる健康人」より、「同じ病気で、ちょっといい待遇を受ける者」が嫉妬の対象になる。

 当事者として――嫉妬と不寛容

「勤務評定(勤評)闘争」*5

《搾取》が、「承認不在の労働」を意味するとすれば。 「まなざしに管理される職場 (青弓社ライブラリー (42))」は、承認闘争の現場。 《疎外》は、現代では「承認の不在」という問題に縮約されているのではないか。 「交渉」というモチーフの再確認。 【「…

労働の承認

「売れなかった商品を生産した労働」と、「シャドウ・ワーク」は別の問題。 ▼前者は「市場に出されたが承認されなかった労働」であり、後者は「市場に出されなかった必要労働」である。

強迫観念と倫理

2006年「チャットはじめ」の私の発言より。 僕の中では、デリダというのは「喪に服す哲学者」なんですが、僕が非常によく覚えてる「ラカンによるデリダ批判」において、ラカンは「デリダの議論だと、くだらないものも救済する話になってしまう」(大意)とあ…

《当事者支援》: 「ミクロな救済」と、「システム設計」*4

「当事者の怒り」は、制限抜きに承認されるべき「万能の怒り」ではない。 ▼当事者への個別ケアと、システム設計(社会的公正さに基づく政策的支援)とは、別個に検討されなければならない。 《当事者》へのミクロな尊重は、マクロ設計への万能の主張権付与を…

あけましておめでとうございます

今年もどうかよろしく。 個人的には、「勉強不足」解消に向けて努力したいです・・・。 ぜひ、良い年に致しましょう。

 謹賀新年 & 年頭メモ