存在

私の発言が、あり得る最悪の解釈(要するに「言いがかり」)において流通してゆく。 その解釈の基本姿勢は《嫉妬と不寛容》であり、結果として私を《道具化》している。
活動における最悪の要素は、むしろ身内にあると感じられる。

  • 最も許しがたいと思ったこと:
    • 当事者活動を「不幸をネタにしての売名行為」(発言者は教師)
    • 運動体が、批判的検証を志す当事者を潰しにかかる
    • 当事者が、「元気な当事者」の活動を否定(「批判」ではない)
    • 運動体が当事者を「人寄せパンダ」「正当化のアリバイ」として使い捨て