強迫観念と倫理

2006年「チャットはじめ」の私の発言より。

 僕の中では、デリダというのは「喪に服す哲学者」なんですが、僕が非常によく覚えてる「ラカンによるデリダ批判」において、ラカンは「デリダの議論だと、くだらないものも救済する話になってしまう」(大意)とあって。▼「無条件にすべてを承認せねばならない」という強迫観念と、そもそも「承認」とは倫理的なリアクションであって、自由に向けて開かれている、という理念とが、拮抗しているような・・・。