2005-04-01から1ヶ月間の記事一覧

情報

今夏、ガタリの勤務したクリニック院長のジャン・ウリ氏が来日講演予定で、その準備として、「制度論的精神療法」に関する研究会/講演会があるとのこと*1。 私はお邪魔してみようと思っています。 日時: 4月23日(土)16時〜19時 場所: 京都大学 …

「意味のない体験の当事者」

「エリート」に関し、私は昨日次のように書いた。 「エリートであること」が悪い意味で問題になる局面があるとすれば、「それゆえに有効な課題を析出できない」ケースのみ。 これには重要な補足が要る。 「当事者としての内面事情を言語化する」という事業で…

世間を説得するとき

不登校: 「行けないんじゃない、行かないのだ」 ひきこもり: 「働かないんじゃない、働けないのだ」 真逆。 なんでだ。

「エリート」

今回のネット上の論争では、「貴戸は学歴エリートだ」という話が繰り返し出てくる。 あろうことか貴戸氏自身が、(「痛いところを突かれた」という意味で)「心臓ひとつき」*1などと言っている。 これについては、「属性と課題の峻別」ということで、当ブロ…

仕切り直し

「フリースクールにいる不登校当事者」は、フリースクールという場において社会参加しているため、そこにすら出て行けない「ひきこもり当事者」とは、全く事情が違う*1。 逆に言えばフリースクールは、不登校者が引きこもり状態*2に落ち込まないために、一定…

なぜ

あまり知られていないことかもしれないが、「不登校」の業界と「ひきこもり」の業界は、はっきりと別のものだ。 問題としては、確実に連続性があるのに。*1 「年齢」以外にも、理由があるのではないか。 *1:ちなみに管轄官庁としては、18歳までは文部科学…

一読者としての感想

貴戸理恵氏の『不登校は終わらない―「選択」の物語から“当事者”の語りへ』には、不登校当事者としては当たり前のことしか書かれていない。 だから価値がない、楽な仕事だ、というのでは断じてない。 その「当たり前のこと」をきちんと言語化する作業は、実は…

「動物園」

「雇用事業」

年収1億なのに維持費21億…京都の「私のしごと館」 メチャクチャ。 以前にも触れたが、「雇用・能力開発機構」というのは一体どうなってるのか。 行政系雇用事業のトチ狂いぶりというのは、何かものすごく症候的ではないか。 事情はよく分からないが、問題…

『夢耕場』2005.3号、無料配布中(郵送は500円)。

森田俊彦(A’ワーク創造館)、樋口明彦、金城隆一、永冨奈津恵の各氏と、座談会でご一緒しています。ぜひ。

努力焦点

脱落しても何度でも再復帰できる制度を。(「カフカの階段」) 「参加しても良いし、脱落しても良い」という規範の確保。 能うかぎり多数化された、イレギュラーなエリート主義を。 シンギュラーな魅惑要因の提示。 (自らをフェティッシュとして、あるいは…

傷と熱意

「熱くなる」ためには、自分の傷に関係する必要がないか。

情熱

斎藤環氏は「ロボットになる」(共感や同情の方法論的排除)をご自分の臨床指針にしておられると思う。 そして「仲間ができれば自然に就労に向かう」。 そこでは、雇用環境の現状や、「仲間内の承認関係以上に実存を動機づけるもの(熱情)」のあり方につい…

≪治療≫

斎藤環氏は、「ひきこもりは『治療』の対象で、ニートは『支援』の対象である」という言い方をしている。 『「負けた」教の信者たち - ニート・ひきこもり社会論 (中公新書ラクレ)』p.244 と先日の発言を参照するに、どうやら斎藤氏は「支援には価値観提示が…

「当時の意識」と「現時点での言語化」

3月6日のイベント時、私は中学時代の不登校について、「学校に行けなかったら死ぬと思って、心身症が出ても必死に抵抗してギリギリまで行き続けた」というニュアンスのことを言った(大意)。 貴戸本のこともあり、1984年6月(15歳時)の自分の日記…

 作業現場の焦点

16日のイベントにお邪魔する*1前に、現時点で気になっていることをいくつか箇条書きメモ。 【斎藤環氏への疑義も提示されていますが、記憶が曖昧な点もありますし、あくまで暫定的なメモです。】 *1:800人の定員が10日以上前に満杯になったとのことな…

『不登校は終わらない』は終わらない(常野雄次郎)

言いたいことは山ほどあるが、とにかく読んでくれ。 素晴らしい。

当事者の二重性――「支援対象」と「活動主体」

「不登校・ひきこもり問題」の、支援対象としての当事者*1と、活動主体としての当事者*2。 「支援対象当事者」にインタビューを行なうかぎりにおいて、フィールドワークを行なう社会学者は、この当事者の言い分をまずは絶対的に(素材として)尊重しなければ…

素材と解釈

フィールドワークに端を発するトラブルにおいては、次の2点を分けて考えるべきだと思う。 (1)オフレコ素材や改変素材を無断公表した 【オブジェクト】 (2)解釈レベルにおいて取材対象と見解が対立した 【メタ】 取材対象による素材提出時にも、一定の…

 「当事者学」周辺メモ

id:about-h さんのバランスある大事な指摘(必読): 「東京シューレの見解について」 「東京シューレの見解について 追記」 に付け加えて。 僕は社会学やフィールドワーク方法論については素人なのですけど、実際に取材をしたりされたりする現場の人間とし…

「学校に行かない/行けない」の周辺

「不登校」の話を20年間スルーしてきた。 「登校拒否」で少し見ただけ。 不登校に関連する話というのは、独特の事情を持った≪傷≫の話ではないだろうか。*1 貴戸理恵氏の本を読もうとして、全身が熱くなり、息が乱れ、メガネが曇った。 思い出したくない何…

教育と労働

規範がどう機能するか。 「自由奔放」というのはあり得ない。

「社会学は格闘技だ」(id:about-h さん)

社会学が社会「改良」学であるには「憤り」が必要だ。 「憤り」がなければ、技磨きに終始してしまう。 社会学は憤りの表現であるべきなのだ。

当事者による言語化の仕事が足らなさすぎる。

しかし、闇雲に語ればいいわけでもない。 必要な言語化とは何か。

言葉の事業

以下の2つは何が違うか。 当事者による言語化 アカデミズムによる言語化

社会化――言語の「習得と創造」

既存言語の習得による居場所獲得 と、 既存言語には存在しない「自分だけの事情」を言語化する創造作業、その作品を通じて社会に居場所を得ること べつの作業。

日記とメモ

私は、15歳〜30歳で大学ノート200冊以上に及ぶ日記を書いた。 同時期、「外出中、歩きながらつけるメモ」というのもあって、やはり200冊以上。 時期と年齢に応じて書き付ける内容や心情は激変したが、「書かずには居られない」衝動だけはあった。 公開する意…

言語化の事業

私的事業として 「いまの自分はこんなふうに苦しい」「自分の状態は○○だ」云々 公的事業として 「脱落すると復帰できない社会をいかにして」「労働環境の規範意識」云々 いずれも、(私で言えば)「ひきこもり」という語彙を獲得する以前と以後とでは事情が…

 当事者と言語

頂いている原稿依頼(当事者発言について)、石川良子氏の論文、支援団体の勉強会、「東京シューレの見解」、自分の窮状、などを通じ、次のようないくつかの焦点を再確認。(まったくの個人的メモ)

暫定的で個人的な整理

社会運動とは、正義を提供するサービス業。 「あなたの闘争を支援します」 様々なレベルで。(個人・制度) → マーケティングの必要(正義に関する需要と供給) 正義サービス ―― ≪消費者の意識に選択されるもの/消費者に自覚されないが必要なもの≫ 「社内労…