仕切り直し

フリースクールにいる不登校当事者」は、フリースクールという場において社会参加しているため、そこにすら出て行けない「ひきこもり当事者」とは、全く事情が違う*1。 逆に言えばフリースクールは、不登校者が引きこもり状態*2に落ち込まないために、一定の役割を果たしている。
本当の問題は、「フリースクールを認めるか否か」ではなく、また「当事者の違和感を認めるか否か」だけでもなく、≪将来継続的に、経済的な社会参加ができるのか否か≫*3ということ。
→ 「当事者の違和感」も、「継続的社会参加において重要なファクターである」という意味において、尊重すべきである、ということではないか。


フリースクールは、不登校当事者の社会参加に一定のチャンスを提供しているが、そのことが一部当事者の違和感をあらためて排除している可能性がある(それを貴戸氏は言語化した)。 そこで考えるべきは、当事者の違和感を潰すことでも、逆に当事者の違和感を絶対視して終わることでもなく、「当事者の違和感を尊重しつつ、獲得できる社会参加はあり得るのか、その道筋は」という模索ではないか。
貴戸氏が報告しているとおり、その違和感を抱く人は当事者の全てではないのだから、それは「違和感を感じている当事者」限定のニーズなのだが。



*1:貴戸氏は、「調査の現場に立ち現れない」という言い方で、こうした問題に何度が触れている(p.261など)。

*2:社会参加も対人関係もなし

*3:貴戸氏のいう「長期的な社会的自立」(p.280)