「当時の意識」と「現時点での言語化」

3月6日のイベント時、私は中学時代の不登校について、「学校に行けなかったら死ぬと思って心身症が出ても必死に抵抗してギリギリまで行き続けた」というニュアンスのことを言った(大意)。
貴戸本のこともあり、1984年6月(15歳時)の自分の日記を読み直したが、当時の自分の意識はこんな明白な言語化をしていない*1。 もっと幼稚で魯鈍。 「抵抗できない規範意識に苦しめられていて、『レールを外れたらどうなるのだろう』という恐怖に怯えていた」・・・・など、もう少し精確な言語化ができたはず。 「死ぬと思って」云々というのは、不登校当時そのものに即した描写というよりも、現在の私の意識がそう考えないと持たないからそう言語化した、という意味合いがどうやら強い。
これはさらに後年の、「ひきこもり現役時」の心理を現在の私が言語化する際にも起こるもんだいだと思う。

  • 規範レベルにおいて、現在の私の意識がまだ不登校や引きこもりを承認しきれていない、いや他者との価値観駆け引きの中で、言い訳的な意識動向に堕してしまっている。 負けている。
  • 「現役当事者の心情を代弁する」という社会的役割から、「当事者としての社会活動(事業)」へ、主観的にも社会的にもシフトしてゆくべきかもしれない。 「ひきこもり」そのものを抽象的に考察する中から、具体的なアイデアへ向かうこと*2。 「このようにつらい!」という話は、それ自体としては嗜虐的な言語行為にしかならない。
  • 「学校に行けない」「人と付き合えない」「働けない」というその impossibility(不能性)の内実については、たぶんいちばん語りにくいところだと思う。 それを語ろうと試みることは私にとって自傷行為に近いが、しかし為すべきなのか。
  • 不登校・ひきこもりを「選んだ」のであれば、すぐさま自己責任論が回帰する。




*1:気がついてかなり冷汗をかいた

*2:「支援対象」から「活動主体」への比重の移行。