「エリート」

今回のネット上の論争では、「貴戸は学歴エリートだ」という話が繰り返し出てくる。 あろうことか貴戸氏自身が、(「痛いところを突かれた」という意味で)「心臓ひとつき」*1などと言っている。
これについては、「属性と課題の峻別」ということで、当ブログではもう繰り返し論じてきた。
「学校に行っているか否か」は、属性レベルの話。 → 「当事者益のある事業(課題)について貢献できる」なら、属性は何でもいい。 そこで問われるべきは「貢献できるか否か」であって、「当事者としてより深刻か否か」云々ではない。 「エリートであること」が悪い意味で問題になる局面があるとすれば、「それゆえに有効な課題を析出できない」ケースのみ。 課題に取り組むに当たっては、むしろエリートであってほしいに決まっている。 【「エリートであること」は、属性との関係ではなく、課題との関係において重要なのだ。 このことは何度強調されてもいい。】


またしても、「逆向きの権威化*2だ。 「あいつは俺よりもポジションがいいから、あいつはダメだ」。
嫉妬とルサンチマンの塊。
この状況で「でも自分はエリートだし・・・」などと悩むのは、単に有害でしかない。
属性レベルでの不幸自慢競争を、一体いつまでやったら気が済むのか。



*1:p.235

*2:「逆ベクトルの権威化」としていたのですが、なんか意味が変なので、「逆向きの権威化」に変えました。