情熱

斎藤環氏は「ロボットになる」(共感や同情の方法論的排除)をご自分の臨床指針にしておられると思う。 そして「仲間ができれば自然に就労に向かう」。 そこでは、雇用環境の現状や、「仲間内の承認関係以上に実存を動機づけるもの(熱情)」のあり方については(臨床上は)問われない。 それは当事者各人に任されるのだが、これはむしろ「精神科医」としてのストイシズムと言える。
しかし、実は「この世で生き延びようとする」という価値選択自体が、雇用環境や実存の熱情と根深く相関するのではないか。 斎藤氏は「生き延びる」という選択肢を自明にするので(医師としては当然といえる)、その延命選択と濃厚な関係にあるはずの「雇用環境の厳しさ」や「熱情の困難さ」が問いにくいのではないか。 → そこの部分は、斎藤氏は「惰性」という言葉で乗り切っているように思われる。 (氏の「生きる動機づけ」は「惰性と忙しさ」だという。)
宮台真司氏は「政策と実存」というから、環境と内面が結婚することの困難を問題にしているように見える。
生き延びる努力はする、しかし単に迎合的な順応主義ではない、そこにおける情熱――そういうところで考える必要があるわけだが、それが斎藤環氏の指針には欠けているように見えていて、そこに批判が集中しているように思われる。