(3)≪頭デッカチめ、さっさと目の前の仕事しろ≫について

  • 当事者や経験者のする議論には、「自己意識を慰撫するための独り言」と、「仕事を創出し、それ自身が社会活動であるような言論仕事」の2通りがあると思います。 前者については、適当にやめて行動に移すべきです。 しかし後者については、私が積み上げてきている議論ですら、まだまだまったく足りない。
    • 当事者・経験者のしている議論は、たいていは前者でしかないし*1、「活動や仕事としての議論」が、誰にでもできる(あるいは誰にでも必要な)ものだとは思いませんので、「コミュニケーション・コスト削減のための確率論」で言えば、ほとんどの当事者・経験者に対しては、「思考停止して体を動かせ」で充分なのかもしれません。
  • 黙って動くべきところで考えてしまい、考えるべきところで思考停止する。 どうもそういうジレンマを感じます。
  • 「議論をやめて働け」は、発言者の「仕事」についての考え方*2を無条件に絶対化し、「その考え方を受け入れないのはお前が悪い」とする態度です。 一定の価値観勢力に味方していることに気付いていない。 それに「議論をやめろ」と言い張る人間に限って、「ひきこもり支援をめぐる謝礼金について」など、敵対的論点については徹底的に自分の意見表明をしたがる。 あるいは、非常に硬直した自分の意見に固執する。
    • 足の引っ張り合いはもういい加減にやめて、「ひきこもり支援の対案」、「支援者への支払いについて」など、具体的な議論を始めるべきでしょう*3










*1:しかし、それは後者への準備段階かもしれない。 私はそうでした。

*2:「何をもって仕事となすか」は極めて政治的な判断だと思います。 「いい仕事をした」のか「自己満足」なのか「やっつけ仕事」なのか。

*3:こんな当たり前のことを今ごろ言わねばならないとは。