2006-12-22から1日間の記事一覧

永冨氏への反論――内発的なリアリティと、理論的な制限

支援者サイド自身が、みずからを「動機づけと心的リアリティの《当事者》」と考えることを怠っている。 「ひきこもり」は、政策課題としては、予算がついたことがない。 つまり現状の公共圏においては、「ひきこもり支援」は、狭い利害に囚われた私的な問題…

政治的な発言ポジションとしての《当事者》

マスコミ出演や著作の形を取らなくとも、《当事者》がなにがしかの形で自分の声を伝える努力をすれば、そこにはすでに 「That's 当事者の声」 の尊重構造が出現してしまいます*1。 ▼ひきこもりは、とりわけ「不可視かつ声がない」存在ですから、「当事者であ…

「当事者によるひきこもり論」が問題となる理由

【1】 社会的な意義と、個人的な負荷とのバランス。 「当事者発言」は、本人にとっての危険を伴う。 【2】 言葉との付き合い方の問題。 「考えれば考えるほどしんどくなる」可能性がある。 そのような姿勢が伝播すれば、他の当事者にも悪い影響が出るだろう…

公私にわたる、「当事者発言」の功罪

番組の冒頭で、永冨奈津恵氏は次のように語っています。 今回、上山和樹さんをお呼びしたんですけれども、お呼びしておいて言うのもなんですが、実は私は、ひきこもり当事者の方々がしゃべるのに消極的なんです。 最初のうち、90年代ぐらいまでは、すごく積…

 ポジションと発言内容の政治

今日のエントリーは、全体で一つです。 「オールニートニッポン 過去の放送を聴く」 上記リンク先から、私が出演させていただいた12月15日放送分を聞くことができます。