『「ニート」って言うな! (光文社新書)』本田パート(p.50)より。(強調は引用者)

 若い人たち自身に聞いてみても、「フリーター」に関しては共感を持っていても、「ニート」に対しては「ペット以下だ」というような言い方――これはある女子高生の言葉です*1――で、きわめて軽蔑し嫌悪するような感覚をもっている場合が珍しくないようです。その「ペット以下」という表現は、意欲がなくて、暗くて、澱んでいて、何もできなくて……というような「ニート」のイメージが蔓延しているからこそ出てくるものです。
 「ニート」という言葉が口にされる際に、失業者や「フリーター」にきわめて近い「非求職型」や、あるいは状況的に働く必要や予定がなくて働いていない層の存在は、「ひきこもり」のイメージの強さゆえに、すっかり吹き飛んでしまっているのです。ごく一部のコアの部分のネガティブなイメージだけが、「ニート」と定義される若者全体に当てはめられる形で、人々の社会意識の中で定着してしまっているのです。

ニート」のネガティブな濫用を批判するために、いつの間にか「ひきこもり」のネガティブなイメージが追認されてしまっている*2。 紙幅や戦略上仕方ないのかもしれないが、本当に批判すべきなのは、「非社会」というあり方への差別的印象操作そのものであるはずだ。(「ニート」への誤解が解けたとして、その女子高生は「ひきこもり」をどう評価するのだろう。)



*1:これを思い出さずにいられない。

*2:→「ひきこもりのイメージがネガティヴであるのは当然だといわんばかりの姿勢」(bewaad氏