「正確な実態把握の上での対策」

私は、「ニート」が話題になるずいぶん前(2000年)、あまりの「心理主義・医療主義」の横行へのカウンターとして、「引きこもりは結局は労働問題だ」と書いたのだが、「就労」ばかりが語られる現在から見れば、逆に「ひきこもりは、就労問題の枠組みから大きく逸脱する」と言わねばならない。▼私が不登校・ひきこもりを経験したのは、消費文化・バブル経済絶頂期を含む80〜90年代にあたる。 「景気浮揚・職業訓練」という枠組みだけでは、「ひきこもり」は確実に忘却される。
本田由紀氏ご自身は、「ひきこもり」については「異なる対応が必要」と書いてくださっている。

 「ひきこもり」は、複雑に絡み合った生育歴上の困難を抱えているような人たちであるといえます。(『「ニート」って言うな! (光文社新書)』p.40)

教育社会学・若年就労をご専門とされる本田氏の「ひきこもり」理解が不十分であるのは当然とも言え、こちらのエントリーを見ても*1、あるいはお会いしたときの印象から言っても、本田氏が「ひきこもり」を意識的に差別・黙殺しているとはまったく思わない*2
ニートと呼ばれている状態像はきわめて多様である」とし、その正確な実態把握の上での対策を主張されているのが本田氏であるとしたら(私はそれをぜひ支持したい)、「ひきこもり」についても――ぜひ同様の方針を、心からお願いしたい・・・。



*1:「ひきこもり」を「トラウマ」に結びつける服部雄一氏の主張自体については、魅力を感じつつ、私は多くの留保をしたい。ちなみに斎藤環氏は、「いじめ」被害者の引きこもりのみを「PTSD」として別枠で扱っている。▼ひきこもりの「家族原因論」は、不毛な「犯人探し」に陥りやすく、ただでさえ落ち込みがちな親御さんの罪悪感を強く刺激するため、私自身はタブーに近い、少なくとも「取り扱い注意」の問題設定と考えている。もちろん、「親のせいだ」と決め付ける「世間の目」も計算に入れる必要がある。▼しかし実際には、ひきこもり支援の多くは「親御さんの説得」であり――二枚舌、三枚舌を使い分けた言説戦略が必要だ。

*2:疑問(というか不明な点)があるとすれば、本田氏における「就労・社会参加」の規範上の位置付けだろうか。▼「稼ぐためには働く必要がある」ということと、「規範として働くべきかどうか」ということとは、徹底して峻別して考える必要がある。