「ニート」という単語について、「功」と「罪」をあらためて検討するべきではないか。

分岐点に立つひきこもり』(p.19-20)、樋口明彦氏:

 そんなに単純によその国の概念を持ってきていいのかと、まず思いました。それに、「ニート」自体、曖昧な言葉で、概念としてあまり良くないとも感じました。
 他方で、実践者としては、また違う印象を持ったのも事実です。つまり、若年者政策の事情を見ていると、実際に「ニート」という支援対象者に向けて動き出しているのです。そうなると、これが必ずしも概念として妥当ではないからと言って、ほうっておくわけにもいかない。厚生労働省自治体などの予算がついてくると、支援活動のために使えるものは使わなくてはならないという状況に、立たされてくるわけです。

    • 「ひきこもり」と「ニート」は、操作概念としては別なのだが(参照)、共に個人の「非社会」的あり方(「反社会」でも「脱社会」でもなく)を扱っている。 「ひきこもり」そのものが忘却されつつある現状では、「ひきこもりはニートの最深刻形」というアナウンス(パフォーマンス)にも、価値が残っている。 ▼また、概念上の厳密さには欠ける*1が、支援現場周辺の事情を関係者(本人・家族・支援者)が整理して理解するには、たとえば次のような図が非常に有益だ*2


樋口明彦氏作成の図に田中俊英氏が加筆




*1:本田氏の図と同じで、「ひきこもり」を「ニート」に内包させている。▼しかしもちろん、状態像としてはこれが多数派かつ基本だ。

*2:「フリーター」が目指されているこの図は、やはり「現場支援者の目線」とも言える【参照】。 ▼正社員雇用や自営は最初から断念されているし、他の選択肢への可能性は描かれていない。