「言説」「実態」「具体案」のそれぞれの吟味は、分けて考える必要がある。

「ニート」って言うな! (光文社新書)』の中心事業は、あくまで「歪んだ言説の吟味」(それ自体はきわめて重要な仕事)*1にある。
一方的な偏見がなくなることは、苦しみを大いに軽減させる。しかし、それは問題のすべてではない。 ▼内藤朝雄id:suuuuhi)氏は、「ニート」を「ひきこもり」の流行と大差なく記しているが、差別的言説の吟味としてはそう考えるべきでも、実態としての「ひきこもり」は、言葉の上だけの問題ではない*2。 高齢化・長期化など、実態としてはむしろ以前より深刻化しているのに、「ひきこもり」という単語と同時に実態そのものが忘却され、「なかったこと」にされつつある。 ▼「ニート」「ひきこもり」という単語がスティグマとして機能し得ることと、その単語で名指すしかない苦しみや事情が存在する*3こととは、分けて考えなければならない。

    • 以前、「ひきこもり」という呼称をやめて*4、「社会恐怖」などで代替すべきではないか、との意見が id:hotsuma 氏から寄せられたが(参照)、私は「運用益」に固執した。 ▼少なくとも、「ニートって言うな!」は、「ひきこもりって言うな!」ではないはずだ。




*1:後藤和智id:kgotolibrary)氏のパートは、ゆがんだ言説の見取り図として貴重。

*2:本田氏が引用しているこちらに対しても、同じことが言える。

*3:あるいは、その語から引き出し得るモチーフの可能性。 つまり、「論点としてのニート」。

*4:「ひきこもり」という語は、「あまりにもネガティヴである」として、多くの当事者やご家族から嫌われている。