「社会的所属」を判断基準とする《ニート》と、所属とは関係なく「状態像」を基準とする《ひきこもり》は、操作概念として別ではないか。

私は当ブログや公的原稿で、ひきこもりは「ニートの最深刻層」と書いてきた。 これについては、当blogへのTBのほか、私の知る限り*1、以下のお二人が触れてくださっている。 以下、お詫びして訂正しなければならない(ごめんなさい・・・)。

ユリイカ』2月号「特集・ニート」(p.72)、栗原裕一郎id:ykurihara)氏:

 フリーターとひきこもり、ニートは、究極的には個人と社会との接触不良に起因するという点で地続きの問題系としてあるだろう(ひきこもり経験者でこうした問題に果敢にコミットしている上山和樹は「ニートの最深刻形がひきこもり」と定義している(『ユリイカ二〇〇五年四月号)。


フリーターにとって「自由」とは何か』(p.30)、杉田俊介id:sugitasyunsuke)氏:

 『「ひきこもり」だった僕から』を上梓した上山和樹は、ひきこもりを「ニートの最悪系」と捉える(Freezing Point 2004.8.8)。



以前の私は、「ひきこもり」と「ニート」は深刻さの量的な違いであって、概念枠としては連続的なものと理解していた*2。 しかし、厳密にはこれはおかしい。 「ひきこもり」は、状態像が深刻であるという以前に、統計的な扱いとしては、社会的な所属とは関係がない。 実際、「大学に籍がある――それゆえ「ニート」とはカウントされない――が引きこもっている」という事例はいくらでも存在する。 ▼逆に言えば「ニート」は、状態像の《深刻さ》の度合いにかかわらず、《所属》との関係*3のみを問う統計上の操作概念*4と言える。 ▼あえて対比すれば、「正社員だがニート」は操作概念上あり得ないが、「正社員だが引きこもり」はあり得る。


本田由紀id:yukihonda)氏は、『「ニート」って言うな! (光文社新書)』p.43〜にある概念図(A〜F)で、「ひきこもり」を次のように位置づけている。




すでに井出草平氏が指摘しているが、この図では複数の分類枠組み(「所属」「意欲」「行動」)が同じ図で描かれているため、たとえば「意欲の高い引きこもり」を扱うことができない。 ▼「意欲の高い引きこもり」についてはp.42で触れられているが(「非求職型に入れてもいいでしょう」)、それでは「ひきこもり」を扱う概念図としては破綻している。→ 「犯罪親和層」と同じ枠組みで並列すること*5は、概念的厳密さや実態よりも「イメージ」を優先する図解になってしまわないか*6。 ▼ひきこもり当事者の犯罪発生率は一般に比べて極端に低いのだが、その存在が社会的に認知されたいきさつ*7から、「犯罪者予備軍」とされた苦しい歴史がある。 その偏見が社会復帰をさらに困難にしているのだが、この本田氏の図は、「ひきこもりはいかがわしい存在である」というイメージ(ゆがんだ規範意識)に与しかねない。 ▼社会的には十全な所属を持っていても、その者が社会行為や意欲を失っていることもあり得る。 論争含みとはいえ繰り返し話題に上る「主婦の引きこもり」も、この図では扱えない*8

*1:書籍『音楽誌が書かないJポップ批評 37 ~サンボマスターと青春ロック地獄変~ (別冊宝島)』においても、栗原さんの論考が取り上げてくださっているそうです。(情報ありがとうございます)

*2:斎藤環氏は、「ニート」と「ひきこもり」の違いについて、「人間関係の有無」と連続的な理解を述べている。

*3:「在籍 or 行動」の有無 【追記: 最初「在籍 or 意欲」の有無、としていたのですが、「意欲」ではなくて「行動」の有無が境目ですね。 意欲があっても行動していなければ「ニート」であり、行動があれば「失業者」です。】

*4:「ニート」って言うな! (光文社新書)』p.21、本田由紀

*5:いわゆる「非行系」と「ひきこもり系」は、水と油と言ってよいほどに別の存在であり、支援策としてはまったく別枠で考える必要がある

*6:p.61には「この両者(「ひきこもり」と「犯罪親和層」)は、階層的出自や日常行動が異なりますので、本来はひとまとめにして考えることはできません」とエクスキューズはあるものの、そもそも概念図の設定自体に問題がある。

*7:2000年前後に相次いだ「少女監禁」「バスジャック」などの事件

*8:p.62の表現に倣って言うならば、所属としては「安定層」だが、状態像としては「不活発層」となる。