「ニートという単語を使うべきでない」という声が id:svnseeds氏ほかから出ている。

まだよくわからないが、ひとまずメモ。

  • ニート」を単に「不況によって生まれただけのもの」とするなら、その存在が刺激する我々の規範意識の問題は問われなくなるのではないか。「ニート」という単語が、弱者バッシングの用語としてのみ機能するのであれば駄目だが、この呼称とともに「働かねばならない」という規範をめぐる葛藤が生じ、激論が起こる、そこからあらためて社会規範に関する Consciousness-Raising が生じ、そこから具体的な意識や制度の改革が生まれるのであれば、トラブル含みの単語が採用されたことには意味がないか。単語そのものを社会資源のように扱う、という以前からの話。
    • 「社会的脱落は容認されるべきではない」という強固な規範――それゆえに再復帰を阻んでもいる――については、不問にされるべきだろうか。▼以前、内藤朝雄氏の「お前もニートだ」について、「ニート焦点の議論は引きこもりの深刻さを掬えない」と書いたのだが、規範レベルを徹底的に問題にすることは、それ自体として引きこもりにも好影響のはずだ。ここはうかつだった。
  • 「ひきこもり」という単語の流通では予算がつかなかった。「ニート」の流通によって政治的に扱われる可能性が出てきたわけだが、この呼称そのものを拒否し、問題を「経済」にのみ限定するということは、「ニート予算」の枠組み自体の意義を否定するということだろうか。そうすると、「ニート予算」の中の「最深刻部門」として成立するかもしれない「ひきこもり」対策費も、社会的には「意味のないもの」となるのではないか。