2005-04-25から1日間の記事一覧
自分の人生を全体のまとまりとして考えてしまうと、「どうして自分の人生には恋愛がないのか」と欠落部分が気になる。自分の人生を機能に還元して考えるといいのではないか。
こちらの事件の判決ですが、ネット上に記事が見つからなかったので、日本経済新聞の25日付夕刊より転載します。 引きこもり男に16年判決 東大阪の両親殺害事件で地裁 自宅に二十年間引きこもった末、両親を殺害したとして殺人罪に問われた大阪府東大阪市の…
まだよくわからないが、ひとまずメモ。 「ニート」を単に「不況によって生まれただけのもの」とするなら、その存在が刺激する我々の規範意識の問題は問われなくなるのではないか。「ニート」という単語が、弱者バッシングの用語としてのみ機能するのであれば…
自分が弱者であることによって聞いてもらう権利が発生するのは「ニーズの所在」に関しての調査であって、実際に自分で政治活動をできないのであれば、それは誰かに代弁してもらうしかない。その代弁=代表機能を負うことになった人間に文句を言う際には、あ…
しかしながらそれは結局のところ「不登校」もまた一つのエスタブリッシュメントとなり、今以上にはっきりとした抑圧を生み、そこからの脱落者を生むことを受け入れる、ということだ。つまりそれは貴戸が警戒する「明るい不登校」のヘゲモニーを許すことによ…
ひきこもり当事者の当事者性は生涯続くのではない、ということについて、岸政彦氏のブログにコメントしてみたのだが、「当事者の属性深刻度によって当事者性にランク付けがされる」、というのは多くの社会的弱者が経験することだろうし、おそらく典型的には…
社会学の調査倫理に関連し、「調査主体が当事者を蹂躙した」という話をされることがあり、それは容易に想像できる状況だが、一方で、「そういう態度を取るならもう取材に協力しないよ」という言い方で、当事者が調査者を恫喝することだってあるはず。社会の…
ひきこもり支援というのは、当事者を政治主体にすること。*1 主体化の結果、支援者に歯向かうことは当然ある。 歯向かう権利はあるが、歯向かっている内容が馬鹿げていれば今度は支援者に反論の権利がある。これまでは、「当事者は支援者に反論してはならな…
すでに書いたことが多いけど、『ビートたけしのTVタックル』という番組を観ていてあらためて痛感したので。 「当事者として発言するということ」あるいは「当事者学」が、たぶんここに関係する。 いただいている原稿依頼との関係もあるので、ひとまずこの…