弱者ゆえの権力?

社会学の調査倫理に関連し、「調査主体が当事者を蹂躙した」という話をされることがあり、それは容易に想像できる状況だが、一方で、「そういう態度を取るならもう取材に協力しないよ」という言い方で、当事者が調査者を恫喝することだってあるはず。社会の権力は複層的だから、その程度の弱者による恫喝がどの程度意味があるかはわからんが、「当事者は常に一方的かつ絶対的な弱者だ」というのは間違っている。
「権力だから間違っている」のではない。私たちの一人一人は権力を獲得せねばならない。

ここで奇妙なよじれが生じる。

「絶対的弱者の味方をしている」ことを標榜する者の発言力が強くなり、その者はいくら抑圧的な権力を獲得しようとも、「弱者のためだから」を理由に免罪されてしまう。逆に、体制内にもぐりこんだ(とされる)人間は、どんなに正しいことを言っていても、「体制側だから」と非難される。自分の正当性を温存するための、児戯的な非難(属性による非難であって主張による非難ではない)。しかしこんな硬直性が現場では支配的ではないのか。