「誰がモテるべきなのか」

「誰が評価*1されるか」は、自然の世界だと「環境適応 → 進化論」の問題だろうが、人間では「制度・文化・商品」の問題になる。・・・・って簡単に書いちゃったけど、コレ、危ない話題ですよね。人間世界の話を自然淘汰の比喩で語るという・・・・。
Ririka さんが「モテる/モテない」の話をしていてとっても楽しいんだけど、「モテ」を社会や雇用の問題として考えると、僕なりに興味深い話になる(またかよ)。
僕はつい自分をマイノリティとして考えてしまうけど、僕自身だって「こういう連中は許せない」みたいなことを考えることはあるわけで。そのとき、僕が直接暴力をふるったりできないのであれば(できるわけない)、法律や制度によって(その言動を)排除するしかない → 僕自身にだって他者排除の必要はある。
「何が受け入れられて、何が受け入れられるべきではないのか」の線引きが、ものすごく重要だ。「何もかも受容する」という姿勢は、長続きしない(破綻する)し、反動でぎゃくに「極端な排除主義」を招き入れる。



*1:あるいは内部化