「生産性」――経済と倫理

『圏外からのひとこと』さんより。

 前から思ってたんだけど、どんな職場でも本当に仕事して役に立ってんのは、10人のうちひとりかふたりじゃないの?

有名企業に勤めるある友人が、入社したての頃に同じことを言って憤慨していた(彼はすごく仕事ができる)。

 だけど、この圧倒的な生産性の格差の問題は、なかなか表に出せない。なんでかって言うと、これがはっきりわかると、即雇用の問題につながってしまうからだ。つまり、仕事してるようで仕事してない膨大な人たちが、一斉に失業してしまって社会問題になる。
 生産性の格差を正確に測定してはいけない、という強力な社会的な圧力が存在するわけだ。

ヒキコモリ当事者には自分の生産性に対して過剰に敏感になり、「お金をもらって仕事をする」ことに異常な罪悪感や恐怖を感じる人が多いのだが*1、essa さんはその点を指摘してくださっている。

 「(生産性の格差を隠すための*2)嘘を維持する為に払うコスト」の中には、引きこもり問題がいくらかは入っているような気がする。社会に出られない社会に不適応なのではなくて、嘘や歪みに不適応、嘘や歪みの中に出られない人が(全部とは言わないが)結構いるんじゃないのか。
 生産性ということを真面目に考えちゃってわからなくなっちゃった人たちだ。働かないで給料をもらっている人がたくさんいて、そういう人に説教されたりしたら混乱するのも無理はない。

経済的関係の中に過剰な倫理意識を持ち込む人間がドロップアウトし、適当な人間が金を稼いで娯楽を楽しむ。
経済的な応答関係と、倫理的な自意識。「テキトーなことをやっている人間がうまくやっている」*3ことへの怒り。誰が受け入れられて、誰が受け入れられるべきではないのか。
大事なのは、「倫理的決済」と「経済的決済」の絡み合いではないか*4



*1:僕にもその傾向があって、この自意識にはずいぶん悩まされている。「やるべきことをやって、相応のお金をもらう」というバランス感覚が、ものすごく難しい。

*2:引用者による付加

*3:「自分をイジメた人間が何のお咎めもなしにのうのうと暮らしている」とか

*4:『ひきこもり文化論』ISBN:4314009543 の原稿にも少し書かせていただいた。