弱者の自己監禁としてのナルシシズム

最寄りの本屋で、私より若いと思われる野宿者がいた(すごい臭気)。 親にかくまわれなかった自分がいる、と体で感じた*1

ストーカーは、何年もかけて築いてきた仕事や人生を、一瞬で破壊する。 ナルシスティックな嫉妬心のために。 自分が被害者だと言い張って。 やわらかい部分を晒した私は、悪意の人が身近に現れただけでつぶれた。――誤った当事者論が、弱者をさらに骨抜きにする。

悩む本人がナルシシズムに支配されていることが、問題をさらにこじらせる。 虚栄とナルシシズムは本来、恵まれた環境でうっとりするもの。 その精神構造で、どん底にいる。 状況に取り組めず、いつまでたってもバカ正直。 自分のことしか考えず、自意識ゲームをやっていれば倫理的だと思い込む。

医師や知識人は、「ナルシストでいいじゃないか」という。 それは、ナルシストでもやれた人たちの言い分*2。 私のように、自意識が自分の存在を破壊してきた者に、それは言えない。 ナルシシズムは、勝者の意識を借りた、敗者の自己監禁なのだ。



*1:家に帰ってからも、「老人にかくまわれた野宿者」という自意識が抜けずにいる。 これが臨床的にプラスに機能している…。

*2:コスプレ的な自意識で、メタ談義のナルシシズムにうち興じる。 ナルシスト御用達の生産態勢に適合できた人たち。――「ナルシストだからいけない」のではない。 生産態勢の固定は、政治を排除する他殺行為になる。 ▼弱者自身が、悪しき政治に加担している。