「偽ヒキ」もんだい

 http://d.hatena.ne.jp/hikilink/20031013#p4に、当日記での議論へのコメントがある。

 というわけで、id:kagamiさんの主張のポイントは、メンタルヘルスを認めない点にあると思うのですが、いかがでしょうか?

 「ひきこもり」をイコール「苦しんでいる」と見なすかどうか、という点で意見が分かれていたけれども、実はこれを巡っては少々やっかいな問題がある。
 「偽ヒキ」だ。
 2ちゃんねるのヒキ板で頻出するのだが、僕も「テレビに出ているようなヤシは偽ヒキ」などと書かれた。要するに、「あいつは本当には苦しんでいない」というわけだ。
 「あいつには真性ヒキの気持ちはわからない」ということなのだろうが、「苦しんでいないのは引きこもりじゃない」という僕の定義に問題あるとしたら、この「偽ヒキ」問題じゃないか。


 当然だが僕は当事者たちの「苦しくてしょうがない状況」を「苦しまなくてすむ状況」に変えていきたいわけで(それはひょっとすると「閉じこもっていても大丈夫」な環境作りかもしれない)、「苦しんでいる状態」に囲い込みたいわけじゃない。「苦痛」に焦点を当てるのは自分の努力のターゲットを明確にしたい、ということであって、偽ヒキ論争に首を突っ込みたいわけじゃない(冗談じゃない)。
 とりあえず、僕は自分のやりたいこと・出来ることをやって、苦痛除去に役立たなければ引き下がる。それ以上でも以下でもない。
 対象もプロセスであり、自分もプロセスであり、お互いの接触を通じてお互いに解放される。そういうプロセスの実現を目指しているのだけれども。(「ひきこもり」は可変的ターゲットの名前であって、静止画像的定義ではない。そこに関わることによってこちらも変化する。こちらが変化せずに相手だけ変えようとするのが暴力的介入ではないか。 → 斎藤環氏の「マニュアル」は、アプローチの前段階としての環境整備だ。要は、そのマニュアル「以後」だと思う。)
 ひとまず、僕自身は可能なかぎり元気に振る舞おうとしている。