謎めいた状態像

4日、漫画版『こころ』を見もせずにコメントしてしまって反省していたのですが、買ってきました『スペリオール』。
この第2話を見る限り、やはり「先生」の状態像は「ひきこもり」とは言えないのですが、しかし連続線上にあることは間違いない。「誰が本当のひきこもりか」みたいな話は、「偽ヒキ論争」などと言われ、その不毛さに僕も神経をすり減らしてきたのですが、「6ヶ月以上かどうか」といったことだけでなく、当該状態像が≪「無能力」ゆえなのか「意思」ゆえなのか≫こそが、真に問われるべき論点ではないか。
「あいつは断続的に対人接触があるから、真のヒキではない」という言い方は、(僕もしてしまったが、)当該人物において問題になっている「不可抗力の無能力」を、問題として取り逃がしてしまわないか。 → 大事なのは「偽か真か」という認識上の問題ではなく、(本人や他人が)「放置していいかどうか」という行動上の問題ではないか。 “真”であっても放置して構わないなら放っておけばよいし、“偽”であっても「放置は困る/できない」のであれば、(本人や周囲の)努力の対象になり得る。 僕が「ひきこもっている人の役に立てば」と思って作った企画や商品でも、「真のヒキコモリ」の役に立たないこともあれば(そのほうが多い)、「偽のヒキコモリ」の役に立つこともある。 「当事者」と共有できなかった問題が、「非当事者」と共有できることもある。


ヒキコモリというのは、ひょっとするとその状態像自身が興味深いテクストのように見えているのだろうか。 僕にとってその読解はあくまで「苦痛緩和のため」だが、仮に「読解を志す人」にその目論見がなく、純粋な知的好奇心だったとしても、それが結果的に「緩和」に役立つのであれば、こんなにありがたいことはない。 物理学に典型的だが、私たちが「力を得る」のは、「読解に成功した」ときなのだから。