誰のルサンチマン?

僕の「嫉妬」についての発言を、「ルサンチマンの典型」と受け止めた方がいました。
うーん。正直、誤解としか思えません。軽蔑されてしまったようで、放置すべきなのかもしれませんが、「ひきこもり」へのリアクションとしては典型的かもしれないので、いちおういくつか反論を試みてみますね。

 親の金で暮らしている人間がみな「裕福な人たち」なのでもないし、まして「楽しく人生を謳歌している」わけでもない。

いや、それは当たり前なんですが、僕は「働く必要がないほど裕福で、かつ楽しく人生を謳歌している人たち」に限定して喋っているわけで・・・・。「親の金で生きている人」のうち、「裕福で楽しんでいる人」と、「貧乏で苦しんでいる人」(ヒキコモリ)を対比させて、「どうして後者ばかりが悪く言われるんだろう」と言ったわけです。
この点がすれ違ってしまっているので、以下に言われていることは全てすれ違いです。


「社会に出て傷つき苦しみながらも頑張っている尊敬すべき人達」を持ち出して引きこもり当事者を侮辱する、というのは、説教スキームとしてはあまりに陳腐ではないでしょうか。――というより、実はその侮辱図式は引きこもり当事者の内面にこそ最も強烈に存在するのです。「みんな社会に出て頑張っているのに、自分はなんてクズなんだ」。


ルサンチマン」というのは、たしかに引きこもり当事者に付いて離れないテーマだと思いますが*1、僕の発言に関して言うならば、むしろ問題にしなければならないのは「引きこもり当事者に嫉妬する人たちのルサンチマン」じゃないでしょうか。
「傷つき苦しみながらも頑張っている友人たち」を敬愛するのは僕も同じです。そして、彼らと付き合えることに誇りと感謝を感じていることも。また、「裕福に幸福に生きている人たち」が軽蔑されるべきだとも思いません。みんなが「裕福に幸福に」なれればいいに決まってる。――少なくとも今回非難を受けた発言においては、僕自身が誰かを嫉妬していたわけではなかったと思います。


僕のあの発言がこういう誤解に遭うということ自体が、ヒキコモリを巡る現在の文脈についていろいろ物語っているのかもしれません。TV番組でも、「ボクのことわかって!」みたいなベタなのが多いですからね・・・・。 → これについては、「当事者語り」の置かれた文脈ということで、ちゃんと考えてみるべきなのかも。



*1:滝本竜彦さんの『超人計画ISBN:4048734814 は冒頭がこの話でしたね。いや、じつは全部読んでないんですが(汗)。 ← 読んだ方がいいですか?