「こんなに苦しむなら、死んでしまったほうがマシ」

 id:kagamiさんとの対話を通じて考え直してみたのだが、(ひきこもり支援において)「苦しんでいる人だけを問題にする」という場合、当然「苦しんでいるのは家族だけ」というケースについても考えないといけないだろう・・・・(これはid:jouno氏が言っていたが)。本人は「金がなくなったら死ねばいい」とだけ考えていて、家族が困り果てている、とか。
 僕としては、「苦しんでいる家族」から相談を受けた場合は、「ご家族でよく議論してください」としか言えないんだと思う。対話の方法については斎藤環氏が『「ひきこもり」救出マニュアル』(ISBN:4569621147)で書いていたことを参考にしてもらうとか。
 僕に出来ることとしては、ご本人の欲望を刺激する、あるいは葛藤を刺激する、といったことを考えるより仕方がないんだと思う。


 生き方として、葛藤や欲望をなるだけ感じないように生きようとする、ということがあり得る。それが結果的に周囲を抑圧したりする。ここにおいてたぶん最も激烈な議論が交わされる。葛藤を回避しようとすればするほど、周囲との軋轢が増してゆく。
 葛藤や欲望に直面することがすべて「敗北」にしかつながらない、としたら、葛藤や欲望はもはや屈辱でしかない。
 自殺する人はよく「疲れた」と言って死んでゆく。自殺とは、葛藤に対する「最終解決」(ナチス)なんだろう。直面忌避による緩慢な死、としての餓死・・・。
 「苦痛に直面するぐらいなら死んだ方がマシ」、という隠されたつぶやきに方針転換を与えるのは、なんだろう? 人? 自然? ・・・・・
 「葛藤してでもいいから、あえて生き抜きたい」という願望は、それほど自明のものではないと思う。「こんなに苦しむなら、死んでしまったほうがマシ」というつぶやきは、もうどうしようもないのだろうか・・・・。
 必要なのは、わかりやすい具体的解決、なのか。