「欲望」ではなく「葛藤」?

 先日から「欲望」をキーワードに考えていたのだが、むしろ「葛藤」という言葉を出した方がいい気がしてきた。コメント欄に書き込んでくれたmiyagiさんが言っていた「怒り」の問題もあるわけだし。
 「欲望」というのは、それが生む「葛藤」から考えるべきではないか。「葛藤」に取り組むことが大事だと思うし、どういう葛藤を生きるか、がその人の人生そのものなんだと思う。そして僕がどういう葛藤を感じるかは、自分の主体的選択だけの問題ではない。というか、ほとんど受動的だ。
 前から言っている「フィクション」云々の話も、各人の葛藤の様態として考えられないか。