2007-05-01から1ヶ月間の記事一覧

参加者としての、フレームの換骨奪胎

「「ああこれは自分だ!」と思えること」(三脇康生) 精神分析(ラカン)や精神医学(ガタリ)から大きな影響を受けているにもかかわらず、精神分析や精神医学の現場を何も知らず我田引水する日本の批評文に辟易とし、むしろ精神医学を学んでみようという若…

NHKオンライン「ハートをつなごう」 7月:「ひきこもり」

教育テレビ 7月2日(月)、 3日(火) 午後8:00〜8:29 再放送 7月9日(月)、 10日(火) 午後1:20〜1:49 「ひきこもり」に関する体験談・提案を募集しています。 みなさんの声をぜひ聞かせてください。 とのことです。

映画 『バベル』

僕にとって、生身の人間として生きていることが嫌になる理由がいくつか描かれていて、観終わって少し楽になれた。 生身なんだし、話が通じなくても当然だ。(逆に言うと、これまでに見てきた多くの映画やドラマは、口にされた言葉が相手に通じることが当たり…

「社会の矛盾」と、全員の当事者性

「摂食障害は問題なのか?」(iDESさん) 摂食障害というものを考える時に、何が何でも治療だという姿勢には反対である。ひとまずは、摂食障害であっても良いじゃないかという受容が何よりも必要なことである。その上で、本人の状態が少しでも良くなるならば…

「自己コントロール感」

「プロアナは肯定しつつ、摂食障害は問題ではないとはいえない」(macskaさん) わたしの考えでは拒食や過食嘔吐は自己コントロール感を獲得するための行為だけれども、それにより十全感や充実感を得るようになると、依存が生じてしまう。依存は自己コントロ…

長期にひきこもっている家庭では、社会復帰を話題にすることは、トラウマをそのまま話題にすることに等しい。 沈黙でようやく維持されているものについて、「話題にしてしまうこと」。 社会生活を続けている人にとっては、「社会に関わっていれば嫌なことが…

「フレーム=コンテクスト=連続性」の資源としての無意識

強迫化した視覚優位の自意識が、自己を周囲世界から切断し(実体化)、自己の適切な有限化を許さない。 これは、去勢のフレームが定まらず、無限の現実に直面してしまう恐怖へのリアクションでもある*1。 ▼説得力のある内発的なフレームの見えないまま、外側…

ひきうけの二重化

「意識=視覚」での引き受けが強迫化すると、無意識(いつの間にか引き受けられていたもの)がわからなくなり、その場にいる理由が失われる。 そうすると、その「理由のなさ」を穴埋めようとして、視覚化を徹底する自意識がますます暴走する。 「泥沼の再帰性…

解離的なひきうけ――「視覚を区切ること」

『解離のポップ・スキル』(p.226-7)、東浩紀との対談での斎藤環の発言より: 起きていることや、見えていることの印象というレベルでは、やはり私は東さんと一致する点が多いとあらためて思いました。ただ、象徴界による媒介の衰弱という点については、ち…

死活問題としての交渉能力 (『引きこもり狩り』追記)

ひきこもりの「全面肯定」を標榜してしまうと、対等な交渉関係ではなく、イデオロギーの覇権が優先課題になってしまう。 ひきこもっている本人の独立した交渉能力の向上は死活問題なのに(それ以外にどんな支援ミッションがあり得るのか)、まずもって「イデ…

交渉関係として露呈する「中間」

環境管理と動物化(東浩紀)は、交渉という対人要因を免除していく。 それは「人間的」と見える対話や熟慮よりは「生理的反応」を要求するが、《交渉》という要因がなくなることはない。 東浩紀: アニメ誌で、『セーラームーン』の幾原邦彦監督がちょっとい…

去勢論メモ

私の議論は、「去勢のフレーム形成がうまくいかない」という、そのこと自身を考える自己言及的な作業として、プロセスそのものとして、自己形成している*1。 自分を形成することの困難そのものを扱う形で、去勢のフレームを作っている。 ▼硬直したフレームを…

「戦術的状況を維持できない」という根本問題

ひきこもっている人間は、明示的な交渉抜きに「扶養される関係」を継続している。追い詰められた最後の姿として、自分を有限化する交渉関係自体を破綻させ、自分を「破綻した有限」か「沈黙する無限」として示すことで*1、有限化のコントロールを破綻させ、…

「間主観性」と、お互いの有限さ

時間と行為については、フランスの精神分析家ジャック・ラカンが紹介する三人の囚人の話がよく知られています。 なぜ精神分析において時間が本質的な意味を持ち得るのか。 これは、間主観性(他人が自分と同じような心を持つ存在であると前提した場合の、主…

交渉関係と去勢

精神分析の《去勢》という概念は、「思い込みを奪うこと」「力を奪うこと」とされるが、「思い込みを奪われることで力を得ること」「自由になること」でもある*1。 そう考えれば強者とは、才能や境遇によって、既存のゲームルールで「首尾よく去勢された者」…

「時間化の不能」としての去勢否認

ひきこもり状態においては、欲望は維持されますが、行為が阻害されています。 つまり、彼らは無気力ではないが、さまざまな要因によって無為であることを強いられている。 それと同時に、彼らの生活には比喩的な意味において時間が流れることがありません。 …

「再帰性という去勢否認」 → 「オブセッションとメタの維持」

再帰性は、去勢の現代的あり方と言えるんだろうか。 底の抜けた「泥沼の再帰性」(宮台真司)は、むしろ去勢否認の条件に見える。 フロイトのモデルでは、自分の問題の所在を意識化できれば症状は軽減する。 しかし今は逆で、問題意識が高まれば高まるほど問…

去勢の受容

講演会での質問の失敗は、私にとって、去勢受容のきっかけになった。 どうしても言いたいことがあるのに、それがうまく言えない、恥ずかしい思いをした。 それは自分にとってどうでもいい失敗ではなく、「言いたいことがある → できない」という順番であり、…