交渉関係と去勢

精神分析の《去勢》という概念は、「思い込みを奪うこと」「力を奪うこと」とされるが、「思い込みを奪われることで力を得ること」「自由になること」でもある*1。 そう考えれば強者とは、才能や境遇によって、既存のゲームルールで「首尾よく去勢された者」。
ここ最近、ひきこもりを考えるために《交渉》というフレームを必須と考えるようになったが、「去勢」という概念自体が、最初から交渉やゲームのフレームで成り立っているのではないだろうか。
――そうした観点から、いくつかの議論を整理してみる。





*1:ラカン派の「欲望に関して譲歩するな」という綱領は、「去勢否認するな」に等しいはずだ。 去勢されること、それを否認しないことは、欲望の道を歩む自由さを意味する。 つまり、去勢こそが自由の条件になる(『生き延びるためのラカン (木星叢書)』p.69など参照)。 ▼では、単なる怠惰を願うことは?――そのことは、やはりゲームや交渉の枠で考える必要があると思う。