「欲望や自発性は無責任」

斎藤環: 欲望や自発性は、本質的に無責任。 ひきこもっている人や親御さんは、「意味のあるお金の使い方」ばかりを考えて苦しんでしまうが、むしろ「無駄遣いしてもいいお金」としての《お小遣い》こそが必要。 つまり、「責任を問われないお金」。 ある当事者は、「ひきこもりにとってお金は薬だ」と言った。

「欲望は無責任」というモチーフは、非常に重要だと思う。
ひきこもっている人の多くは、失敗や無責任を強迫的・恐怖症的に怖がっている(洗浄強迫の人が不潔を怖がるように)。 欲望を感じそうになっても、それにまつわるあれこれが先に浮かんでやめてしまう。
お互いに無責任な欲望を持ち寄ってこそ、交渉関係が成り立つ。 交渉の前に先取りして欲望を我慢してしまうようでは、自滅するばかり。――それがけっきょく交渉関係自体を破綻させてしまう。
本人の内に潜んでいるかもしれない「過剰さ」については、「欲望」というよりは欲動の話に思えるのだが・・・。