2007-04-20から1日間の記事一覧

「権理」と「権利」

■福沢諭吉 「学問のすすめ」 今、人と人との釣合を問えばこれを同等と言わざるを得ず。 但しその同等とは有様の等しきを言うに非ず、権理通義の等しきを言うなり。 (中略) 即ちその権理通義とは、人々その命を重んじ、その身代所持の物を守りその面目名誉…

親子関係の非対称性

書籍『引きこもり狩り』への批判的問いとしての、「親がひきこもってしまったらどうするのか」への付記として。 ここで問題になっているのは、「権理上の親子の対等さ」だが、実は親子間では、その関係への入り方が対称的ではない。親は望んで子を設けるが、…

「交渉からの撤退」としてのひきこもり

ひきこもりは、労働や対人関係からの撤退というよりも、「交渉からの撤退」と言ったほうがより事態を正確に論じられるのではないか。 労働がなくても生きていられる人はいる。(金があれば) 対人関係がなくても、衣食住があれば生きていられる。 しかし、労…

「復帰できる文脈」と、文脈の形成力

本当にまずかったのは、内的および外的な、「復帰できる文脈」を失うことだったかもしれない。 復帰できるためには、 (1) 具体的な課題の設定と、内発的な関与 (2) その課題を承認する社会的文脈 (3) 関係への欲望をお互いに承認できる、具体的な個人 などの…

積極的離脱とひきこもり

ネットには少し前に復帰していたのですが、ブログからもメールからも開放された状態があまりに快適で、しばらく意図的に離脱していました。(何年ぶりだろう) ひきこもるしかなかった時期には、自分を社会から切断するしかできない状態がひたすら苦しかった…

復帰

PCを修理に出していました。 この間 考えていたことを、数日に分けていくつかメモしてみます。 今後もこのように、ひきこもりに関する焦点を、里程標としてメモしてみようと思います。更新頻度は落ちる(あるいは気まぐれ)と思いますが、更新そのものを義務…