失態

他者と交流を持てば、必ず失態と誤解にまみれる。
そのことに強迫的な恐怖を感じれば、ひきこもるしかなくなる。
すると、ひきこもること自体が失態になる。
失態を抹消しようとすると、自分を消すしかなくなる。
しかし消えること(自殺)は、それ自体が失態かもしれない。
途方に暮れる。


  • 【追記】
    • ここに書いたことは、ひきこもりに関連する心の動きでありつつ、それを事後的・分析的に取り上げた作業でもあります。 つまり私自身は、上記のような心の動きを一方で(言い訳のきかない本物の素材として)生きつつ、それを一つの「典型的な心の動き」として眺め、素材として提出する動きを(反復強迫的な労働の営みとして)持っている。 具体的・個別的な事例を素材としつつ、そこからメタ的な問題構制をえぐりだすこと。 そこにおいて、公共的な取り組みを見出すこと。 ▼ここ最近、私が「社会的な自由連想」「事後的な分析」という言葉で皆さんへの共有を呼びかけているのは、そういう努力のスタイルであり、私がどうしても必要だと思うものです。