西川美和インタビュー 3

http://flowerwild.net/2006/07/post_2.php

 「恋愛関係が、結局のところ、相手の他者性を直視する以前に解消することが可能であるなら、家族という関係性は、隠蔽されていた個々の欲望やエゴの真実が露呈し、取り返しのつかない亀裂が生じても、そこから容易に逃避できない「足かせ」にもなり得る。」(石橋今日美、インタビュアー)

 日本でひとりシコシコ脚本を書いていたりすると、自分のやっていることに意味があるのか、誰が映画なんか観たがっているのか、とすごく不安に潰されそうになるんですが、カンヌに行って世界の人がこれだけ映画というものを欲していて、映画というものを要求しているんだという姿を目の当たりにした時、「ああ、映画を作っていていいのかな」と勇気付けられた気になりました。

 私自身、この作品の主人公には相当の情熱をかけて取り組んだので、映画作りに対して徹底的にまじめな人に引き受けてもらいたい、という思いが強かった。

 「自分自身の、かろうじて俳優という仕事をすることで押さえきれている、自分の暗部や悪意を表現してくれているから、すごく言い当てられている」(香川照之

 私は、恋人はまだ描けないですね。 恋愛というジャンルはなかなか食指が動かなくてね。
 私が描きたかった関係性の難しさは男女のそれではなかったんですね。

 「家」というものの下にある家族的な絆とその奥に眠っている矛盾や不自然さ、それでも断ち切れないお互いへの煩わしいくらいの愛情……というものは、書けば書くほど奥深くて、自分自身、とりくんでいて非常に魅力的だし面白い。

 やはり、家族とも友人とも大切な人とも確実につながっていたいと思うし、相手を全面的に信頼していたいし、理解していたいと思うけれども、そうありたいと思っていても、うまく行かない、ということを人生の局面、局面でみんな経験していると思うんですよ。

 つながりたいという意志も、また自分のことをかばいたいというエゴも含めて、人間が持っている弱さや、業みたいなものを描いていきたいんですよね、映画で……。

 そこで露になっていくドラマが非常にヘビーなので、何らかのエンターテイメント性をのせないと、観客が途中でギブ・アップしてしまうのではないかと思ったのですね。

 人間の移ろいであったり、ここで露になる内面のドラマであったりという主題を外してサスペンスに没頭されることが一番恐かったので、サスペンスフルなんだけど完全なサスペンスになり切らないようなさじ加減というのに非常に時間をかけました。

 映画作りはパートとパートの集合体の作業なので、そういう風にものを考えてくれる人とじゃないと組めない、という意味では私はすごくいいパートナーだなと思います。

 共犯関係にない人を撮る、ということをする土台が私にはないんですよ

 やっぱり、書くということが私にとって、映画作りのプロセスの中で純粋に一番楽しめる作業なので、それは失いたくない。 だからその結果仕上げた脚本を俳優さんが、納得して、気に入ってくれてやってくれるのであれば、その方法論は続けていきたい

 作品に描かれた人間のドラマの中に、自分が抱える小さな問題や悩みに共通するものを見出すことで、世界を広げられたり、救われてきた。 だから自分がみせられてきた様々な映画に倣うように、私も観客が自分自身をスクリーンの中に見出すことのできる映画を作りたいな、とは漠然と思っています。