西川美和インタビュー 2

http://eonet.jp/cinema/interview/060713_interview.html

 人間関係のもろさや危うさ、記憶のあいまいさなど抽象的なものをテーマにしたかった。 でもそれだけを漠然と露悪的に描くだけでは、観る人は途中で耐えられなくなってしまうかも知れない。

 私自身にとって「家族」は、非常に興味深い題材です。 1作目は「家」、そして今回は「兄弟」。 奥深いモチーフなので、今後もきっとそこから離れられないと思います





http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/21/20060821000000.html

 「こんなにリアルで残酷な現実を突きつけられたとき、それを受け入れるだけの土壌が日本にはない」





http://www.pretty-online.jp/select/179.html

 西川監督は、この作品を作っていて、映画を作るということは、周りの人の意見から何を取り入れるべきかということを自分の中で採択しながら進めていかなければいけないと感じたという。 「本当にたくさんの人がいろんな意見を言うんで、戸惑うこともあったんですけど、私にとって、言ってもらえるっていうのが幸せなことだと思う」

 「2人とも非常にイヤらしい部分も持っている人間であると同時に、そこが非常に愛おしいところだと、私は思っています」





http://www.tokyoheadline.com/vol263/inter04.html

 「人が人に対する思いというのは非常に複雑で、また1つの行動を1つの感情が支配しているわけではない」





http://www.wowow.co.jp/cv/vol236_jp.html

 私もやっぱりある程度の高いモチベーションでこの物語を創ってきてるから、仕事という風に割り切られてやられると、そこでのバランスが悪くなって…なんかこっち(自分)がしらけちゃうなと思ってですね。

 人に観せるために、観客に観せるために、いろんなことを感じてもらうためにと思って、長い時間を大事に使って丁寧に創ってきて。





http://www.asahi.com/culture/movie/TKY200607050532.html

 自らの深層心理も映し出す夢を映画に翻案することについては「恥ずかしいという生々しい感情がなければ、映画は説得力を持たない。 自分をさらすのも仕事ではないか」と話す。

 「自己満足で趣味の延長、生産性のない仕事だと胸を張れなかったんです。 でも、世界には血眼になって映画を求める人がいることを知り、勇気がわきました」





http://www.campusnavi.com/jcfmovie/jcfmovie_7th/intv/7th/06/06_nishikawa.html

 でも何かのきっかけで、自分が思っていたような自分じゃない部分が露わになって、自身に失望する時がある。 私の場合はどういうわけか、そういう時が「ものを書いてみたい」という動機になることが多いですね。

 私は、人間が非常事態に犯してしまう悪事に対して、割と身近に感じてしまうことがある。 そういう部分と、自分の持っている、人には言えない暗い汚い部分っていうのが、非常にリンクするように思うんですよ。

 いいとも悪いとも、あまりピンともこないし、文句も出てこない。 文句が浮かばないってことは、監督としての才能がないのかもしれない、やっぱり向いてないなって思ったんですよ。 じゃあ何になるかって色々考えた中で、唯一脚本を読む時だけは、なんでこういう下手なト書きの書き方しかできないんだろう、なんでこんなリアリティのないセリフを書くんだろうっていう文句が浮かぶんです。 そこに我が出るということは、私はそこに向いているんじゃないかって。 全く根拠もないし、頭でそう思っていても、優れたものが書けるか分からないけど、脚本というものにだけは、根拠のない自信を感じてしまった

 でも常に、自分の仕事の中のウェイトは、「書くところ」にあって、その部分ができていれば、あとはパスできると思っています。

 何だか自分が世間の日陰者みたいな感じがしてくるんですよ。 職業として成立していないというか…。 実際そうなんですけど(笑)。 映画なんか撮っていたって、最終的には野垂れ死にかもと感じてしまうので、そういうシステムを変えていかなきゃいけないと思っているんでね。