第171回国会 青少年問題に関する特別委員会 (ニート、引きこもり等、困難を抱える青少年を支援するための対策) 【その2】

  その1からのつづき】
前日につづき、公開されている会議録からの転載です。

玄田参考人
 全くおっしゃるとおりだと思っております。

 私は、あるところで、今、原因を追求するよりは、まずさまざまな施策を行うことが最優先ではないかということを申し上げたことがございます。ただ、一方で、今後、将来この問題を考えていくときには、さまざまな客観的な事例そしてデータを使った分析が大変必要なところであります。

 先ほども若干申し上げましたが、総務省の就業構造基本調査と言われる百万人単位のサンプルサイズがあるようなデータですと、かなり大きな分析ができます。例えば、ニート状態にある人々は中退経験が多いとか、ニート状態にある人は、実は過去に働いていて、病気、けがのためになっているケースが多いですとか、そういう客観的な事実がかなり明らかになってまいります。

 これまでそういうデータは、統計法の縛りがあってなかなか分析が十分ではなかったのですが、この四月一日より、新統計法の改正等によって、こういう客観的な状況を明らかにする、分析するための素材はそろってまいりましたので、ぜひそういう形でこの客観的な分析、原因追求というのが進めていかれることを、我々も研究者の端くれでありますので一つの責任として感じておりますし、そういうデータ等、公的な財産を有効活用することが今後大変望ましいのではないかというふうに思っております。

 以上です。


永岡委員
 大変貴重な意見をどうもありがとうございました。
 終わります。


末松委員長
 次に、菊田真紀子さん。


菊田委員
 民主党菊田真紀子です。

 きょうは、四名の参考人の皆様から、それぞれの立場で、大変具体的で貴重な御意見を賜りまして、まことにありがとうございました。

 まず最初に、川越参考人にお伺いしたいと思います。

 お聞きいたしましたら、四十二年間、家庭教育に携わってこられたということで、本当に大ベテランでいらっしゃいまして、情熱もさまざま拝見させていただいたところであります。

 家庭教育の重要性というのはもとより痛感しているところでありますし、多くの問題のときに、学校教育と家庭教育、これが車の両輪となって進めていかなければならないということがこの間ずっと言われてきたわけであります。でありますけれども、私は、この家庭教育の充実ほど、大変難しい、ある意味、学校教育よりも見えにくく、また非常に効果が見えてくることがないという意味においては非常に難しいところがあるのではないかなというふうに思っております。

 その一つの背景として、個人の家庭や家族のあり方、あるいはプライバシーの問題に行政や政治や公的機関がどの程度かかわることができるのか、そういった抵抗感もあるでしょうし、そういう意味では非常に困難があるというふうに思っております。

 そういう観点からしても、私は、この間の家庭教育の充実ということは、いろいろな場面で叫ばれ続けてきながら、実は余りうまくいっていなかったのではないかなというふうにも思っているのでありますけれども、川越参考人から、この家庭教育の充実のために、さらにもう一歩、どう進めていかなければいけないのか、国はどうあるべきなのかを少し御意見賜りたいと思います。


川越参考人
 先ほど申し上げましたように、昭和三十九年に家庭教育学級というのはつくってくだすっているんですね(参照)。今もあると思うんですね。ですけれども、それが本当に運用されていないのが現実だと思います、昔はよく家庭教育学級の講師にも年間百八十回ぐらい行ったのに、今はほとんどありませんから。ですから、そういうところを見ても、各市町村で教育委員会がいわゆる社会教育の中で家庭教育をどれだけ重要視しているかということも調べていただいた方がいいんじゃないかと思いますね。

 私も、後ろにいる随行人もそうですけれども、家庭教育学会の会員ですが、日本家庭教育学会というのはもう二十年以上たっていますね。そこで家庭教育師というものをおととしからつくりまして、いわゆる家庭教育の専門家ですが、そして、お母さんたちにいろいろな勉強をするリーダーになれる資格を与えているんですね。そういうふうにして、やはり現実に親たちが勉強をしないとちょっと無理なんですよね。

 例えば、皆さんにお話ししますけれども、子供を育てるのには人格を尊重する、ここまではだれでも言うわけ、男の先生も。だから、その先生に私は言うの。今泣いている赤ちゃんの人格を尊重するのにどうなさいますかと言うと、答えられない。でも、それが家庭教育なんですよ。転んでいる、泣いている子供の人格を尊重するのにどうするか、そのときにちゃんと対応できるのが家庭教育、これが具体的な事例なんですよ。それが子供の人格を尊重するということなんですね。赤ちゃんだったら、赤ちゃんの心理をちゃんと知っていて、泣くしかないんだから、泣くということはちゃんと必要だから泣くんだから、すぐこたえるということ、これが赤ちゃんの人格を尊重するということなんですよ。

 ここまで具体的にいかないと、親の方の人格は認めているけれども、子供の人格というのは本当に認められていない。きょうは一回必ずそのことをどこかの時間でお話ししようと思っているんですけれども、女性の人格は認められてきたけれども、子供の人格は本当に認められていない、そういうことです。

 だから、家庭教育学級というのを、いわゆる私的な機関ではいっぱいやっているんですよ。私の関係も、北海道だったら釧路家庭教育研究所とか札幌家庭教育研究所とか、いろいろな研究所を全国で全部関係者がやっています、民間でです。だから、やっているところは事件が少ないですよね。貢献しているということで、私も三つの警察から感謝状をもらっています。親もだめ、先生もだめ、警察もだめだった子供を立ち上げたということで下さったんですよね。三枚もらっています、違うところから。

 そういうふうに、家庭教育だけは、やはり具体的に講師を養成する講師養成講座というのも時々私たちは民間でやっているんですけれどもね。やはり、資格がないから、受ける人が、今度。今、昭和女子大では子育てアドバイザーとかというのをつくっていますけれども、今度初めて八洲学園で卒業生が、家庭教育アドバイザー、家庭教育師という資格を持って、それで私たちは、いろいろ援助しようと思っているんですね。

 だから、そういう点で、ぜひ、それこそ予算をつけてでも家庭教育学級をもう一回ちゃんとするように。私たちは、講師は幾らでも、無料ででも何でも、この三年間、全部お金をもらわないでただでやりましたから、そういうことをできる人材をいっぱい持っていますので、その場さえつくってくださればどんなにでもやりますから。それが大事だと思います。

 ありがとうございました。


菊田委員
 ありがとうございました。
 時間も限られておりますので、ほかの参考人の方にも御意見を賜りたいと思います。
 工藤参考人からは非常に具体的なお話がありまして、例えば、委託事業を受けると必ず赤字が出てしまうというようなことは私も地元のNPOから話を聞いていたこともありますし、やはりこういったことは、厚生労働省なり各省庁に、しっかりと善処するように、これからまた求めてまいりたいというふうに思っております。

 中でも、国のさまざまな機関や組織や会議で発言される機会が多かったけれども、自分の世代がほとんどいない、若者の問題なのに若者の発言する場がないということは、これは本当に大きなことだと思っておりまして、もっと工藤参考人と同じ世代の現場の方の意見がいろいろな場面で生かされるように、私もこれから提言をしてまいりたいというふうに思っております。

 また、玄田先生でありますけれども、いろいろお話ありました個別的、持続的、包括的という三つのキーワード、そして、やはり私が非常に印象に残りましたのは、この若年無業の問題というのは、若者の個人的な意識の問題とかぜいたく病ではないということ、社会のシステムや経済構造、そしてある種の貧困問題なんだということで、早くからこの問題について取り組んでこられたことに大変敬意を表したいと思いますし、大いに共感させていただいたところであります。

 政府の方も、いろいろな試行錯誤をしながらこれまで取り組みをされてまいりました。そして、今般、青少年総合対策推進法案というのが国会に提出をされて進められていくということになってまいりますけれども、私自身は、この青少年総合対策推進法案に対してはいろいろな意見を持っております。

 きれいなネットワークの枠組みだけをつくってみても、果たして現場でどれだけうまく機能するのかなという懸念も実は持っているわけでありまして、この点につきまして、玄田参考人、そして工藤参考人に、もし御懸念の点があるとすればぜひ御提言をいただいて、よりよいものをつくってまいりたいと思いますので、よろしくお願いします。


工藤参考人
 懸念があるとすれば、まず、やはり団体同士の相互ネットワークになると思いますので、全員所長クラスが出てきて、また若い人はいないねという話になるのは一つあります。

 もちろん、年配の方ができないとか嫌だとか、そういうことではなくて、バランスよく入れるときに、組織の長になるとなかなか若い人がいないので、あるレベルの中で、例えば現場の若い人は若い人で一回集まる会があるとか、少し重層的なそういう場というのが形成されたらすばらしいだろうなと思う一方で、では、その時間とか、それにかける社会的なコストの部分はだれが負担するんだという部分であります。

 ただ、その部分で、お金を下さいということではなくて、もう少し社会的資源を使った工夫ができるのではないかと思っています。

 というのも、コスト削減も含めましてですけれども、今、大阪と埼玉に事業所があるんですが、各職員同士というのは、連絡をすべてスカイプという無料のインターネットテレビ電話を使ってやっています。複数で一気にできたりとかもするんですけれども、物理的な移動時間を超えられるであるとか、そこにいなくても議論ができるというようなことというのは、社会的な資源を使えば、無料であったりとか、ほんの何百円の世界で使えるものですので、今後、いろいろな方が、忙しい方も含めてどんどん議論に入っていくために、何か通信経路であるとかIT機器なんかも使いながら、集まってしゃべるということ以上の波及効果をもたらすようなものというのを内部で検討しながら取り組みができたら非常にいいんじゃないかと思っています。


玄田参考人
 私も菊田先生の御指摘と大変共感するところが多くございまして、ネットワークがただの形だけのネットワークになってはいけないだろうということを思っております。そう考えたときに、私自身、重要と思いますのは、今あるさまざまなネットワークづくりの好事例に関し、情報を共有し、かつ、それを伝えていくというのが大変重要なのではないかと考えております。

 その好事例の一つは、まさにきょう布袋さんのいらっしゃる田辺市というのは、日本でも大変画期的な取り組みでありまして、特に障害者、もしくは障害者に準ずる、よく専門家の方々がグレーゾーンというふうな言い方をされるようですけれども、障害者手帳は持っているわけではないけれども生きることに苦しさを持っている方々にどうみんなで連携してやっていくのかということが非常に新しい取り組みで、我々自身も今後ますます学んでいかなければならないと思っております。

 もう一つ私が存じ上げているのは、兵庫県全体ですべての公立中学校が五日間さまざまな地域で体験学習をするトライやる・ウイークというのも、たしか去年が十年目を迎えまして、地域で大変な評価をなされているというふうに聞いております(参照・PDF)。

 具体的には、当初、教育委員会、学校の先生方も驚かれたんですが、一週間、地域で交わり、交流するうちに、不登校もしくは不登校ぎみだった子供たちのかなりの割合が学校に戻ることを選択するというふうなデータがあらわれて、これは大変衝撃を持って、いい意味での衝撃を持って受けとめられているというふうに聞いております。

 それが、当初、一時的なことかというふうなことを思ったところ、十年目の検証の中で、どうもこれは一時的ではなく、やはり地域の中で連携をするというふうな具体的な実践がまさに不登校の子たちが学校に戻ってくることにつながっているという意味で、トライやる・ウイークもそうですし、地域の中でさまざまなされているいろいろな事例を我々も学び、共有していくということができれば、この青少年対策推進法案のもともと目指しているものがかなり広がっていくのではないかというふうに考えておるところです。


菊田委員
 ありがとうございました。

 先ほど工藤参考人の方から御発言がありましたけれども、ニートやフリーターやひきこもりの問題ですけれども、一般的に、こうした人たちは無気力なのではないか、本人にやる気がないからではないかとか、あるいは怠け者だからだとか、そういう、社会全般から見るとまだまだ非常に冷たい目線が向けられている存在ではないかというふうに思っています。

 先ほどおっしゃったように、自分たちが一生懸命働いて納めた税金を何でこんなところに使うんだと。これは、実は私も地元の国政報告会なんかで、今の政治の課題、それは景気対策も大事ですし、さまざまな医療や介護の問題も大事ですし、社会保障をどうするのかとか、いろいろな話をさせていただきますけれども、事ニートやフリーターやひきこもりの問題などといいますと、一般の人からすると、もう何か全然優先課題ではないし、何でそんなところに税金を使うんだというような非常に厳しい意見もあるわけであります。

 しかし、こういう問題は、個別の問題、個人の問題ではなくて、日本社会全体のみんなの問題なんだという風潮をいかにしてつくっていくかということが大きな課題になっていると思いますが、そういう社会全体でみんなで応援していく、支えていくという風潮をつくるために、何かいいアイデアがあったらぜひお聞かせいただきたいと思います。


工藤参考人
 友人、いわゆる一般の、そういう問題にかかわらない友人なんかと話をするときには、基本的に、数字で説明するようにしています。

 つまり、目の前にいるこの若者を放置した場合の最終的な損失、それはもしかしたら生活を税金で保護していただかなくてはならなくなってしまうかもしれないし、もしくは、四十、五十歳まで何も支援が受けられなければ、やはりそれは、すぐ仕事につくというのは難しいからいろいろな支援がかかる、ただ、現在例えば二十二歳の青年が今就業した場合に、向こう六十歳まで、六十五歳まで払う税金額をおおむね調べると、その差額というのはどれぐらい大きいものであって、結局自分たちの納税額にかかわってくることであると。

 つまり、どんどんふえていく税金、使わなければならない税金なのか、今使うことによって最終的にプラスに転じられる税金なのか、先ほど言いましたように、経費的なものなのか、投資的なものなのかというのをなるべく説明するようにしております。

 欧米なんかでよく聞きますのは、やはり、政治家の方が誤解を恐れず、これは投資であって、数字的に社会コストのインパクトがどれぐらいあるかというのを伝えていただけることが多いようです。つまり、ことし一万人の若者が何らかの施策で就業しました、これは、向こう五十年間の経済的な、社会的な、税金の部分のインパクトはどれぐらいであるので、費用対効果としてはこうであるというような、そういう発言をどんどんどんどんしてくださっている。

 地域の方につかまえて聞いても、それは今やらないと後で高いじゃんという言い方を、本当に、道行く青年にこの施策を知っていますかとたまたま聞いたときに、いや、それは知っているよ、今やった方が安いんでしょうという、安いというとらえ方がいいか悪かではなくて、今お金をかけるべきでしょうということが何となく感覚としてある。あれはやはり、政治家の方が一生懸命PRしてくださっているところで社会的な理解が進んでいるんだと思います。

 やはり、実は彼らは一生懸命なんだとか無気力じゃないんだというのは、口で説明しても仕方がありませんので。そういう数字の説明が腑に落ちない方には、うちの方に来ている青年たちと一緒に飲んでもらうとか。

 全然関係はないですけれども、きのうはミス・ユニバース・ジャパン・ファイナリストの六名の方がボランティアに来てくださって話してくださって、自分たちと悩んでいる子と全然同じ世代だなと(参照)。

 彼女たちがブログで書いているんです。きょうは、自分たちはニートとかひきこもりの若者と初めて会って、四時間、五時間一緒に過ごして、全然普通の人じゃないですか、何にもやる気とかないなんということはないとどんどん発表してくださっているんです(鈴木恵都)(飯島千晴)。

 もちろん、今、彼女たちもすごく発信力がありますので、そういう人に実際来てもらって、実際会ってもらって、本当のことを外に伝えてもらうということが、自分のところだけじゃなく、全国で取り組まれれば、少しずつ社会の認知は変わると思います。

 済みません、長くなりました。


菊田委員
 ありがとうございました。

 それでは、最後になりますけれども、布袋参考人にお聞かせいただきたいと思います。

 これまでの活動の中で一番御苦労されたこと、そして一番うれしかったことを御紹介いただいて、そして最後に、政府の政策に対して一言、御提言、御意見がございましたら、ぜひお聞かせをいただきたいと思います。


布袋参考人
 何時間あっても足りないですね。

 ですから、引きこもっている青年で、例えば工藤さんのところにたどり着く。たどり着くと、もうひきこもりじゃないんですよね、出ているわけですから。僕らのところに相談に来られるのも、もうひきこもりじゃないんです。本当は、ちゃんと潜っている、ちゃんとというのはおかしいですけれども、家族以外の他人と全然会わないというふうな人たちが何万人もいるというふうに考えてくれたらいいと思うんですけれども、その人たちをどうするかという課題はなかなか難しくて、出てこないんですよ。

 しかし、この間の、国の施策だったのか県の施策だったのか忘れたんですけれども、僕らが訪問できる、アウトリーチをかけることができるような費用が少し出てきたんですよね。そういうことで、ちゃんと潜っている人たちに、こういうことがあるんだよというふうに情報を届けることがまだまだ不足しているというふうに、僕らのように地方にいる人間もそう思っているんですね。

 それと、もう一つは、どういう質問だったか忘れましたけれども、働く場がそもそもないんですよね、地方には。もう、明らかにないんです。工藤さんのところは都会ですから、結構、バイトとかそういうのもいっぱいあると思うんですけれども、うちは、そんなにないんですよね。

 そんなにない若者たちをどうするかというふうになると、実はこれは市長からも言われたんですが、去年、おととし来られた、千葉のニュースタート二神能基なんかと話をしているうちに、三人で話をしているうちになったんですけれども、熊野はいやしの里だから、熊野の奥地にそういう心優しい青年たちを集めて、緩やかな農場みたいなものをやろうじゃないかと。そういう青年たちを都会へ連れていって企業戦士として働かせるなどということはとても無理だから、彼らの心性に合ったような、そういうスローな働き口を何とかつくっていこうじゃないかというふうなことを話し合ったことがあるんです。それで、やろうやろうとかなんとかといって、本宮の行政局でみんなで話をしていたんですけれども、そういうときにお金をがぼっと出してくれるとか、そういうのをしていただくといいかなというふうに思っているんです。

 いろいろなことをやっていて、うれしいことはいっぱいありますし、本当に細かい話になりますけれども、ちっちゃい話になりますけれども、一人の青年がやっと動き出して、コンビニで働き出して、そして自分で単車の免許を取り、自動車の免許を取り、少しずつ自分で自立していっているという姿を僕らの目の前に何人かは見せてくれています。だから、活動自体はしょぼい活動かもしれませんけれども、しかし、確実にそういう成果は上がってきているんだな、こんな地方でもというふうに僕は思うんですよね。

 僕たちのような地方があちこちにでき上がっていく、そしてネットワークとして、そういう地方が少しずつ、隣の町と、そして隣の県と結び合いながら、そういう話が、情報が交換され、さらにそういう協議の輪が広がっていくというふうなことがあちこちにでき上がると、もっと豊かな状態になるんじゃないかなというふうに思っています。


 菊田委員
 ありがとうございました。


 末松委員長
 次に、池坊保子さん。


 池坊委員
 公明党池坊保子でございます。

 本日は、四人の参考人の方々には、大変有意義なお話を伺い、本当にありがとうございました。

 現在、我が国のニートの数は推計で六十四万人、あるいは、ひきこもりの数は、これもすべて推計でございますが、百六十万人とも言われております。

 このような状態が続くことは、青少年、その子供たち本人にとっても、社会に居場所がないという疎外感とか、社会から排除された感覚にさいなまれたり、あるいは、就労を通じた職業能力を蓄積することもできず、自立した生活を営む力を養う機会がどんどん失われていき、本人自身も将来が見えない不安を抱えていくのではないかと思います。

 また、社会にとっても、生産性、国際競争力の低下、個人間の所得格差の増大、財政や社会保障システムの脆弱化を招き、日本全体の活力が低下する大きな要因になってくる。これは将来的な日本を見据えたときの社会問題ではないかというふうに私は思っております。

 三十歳以上のポスト青年期世代のひきこもり、ニートが増加しており、四十歳に突入した世代も増大していると聞いております。本人もさることながら、私も親をしておりますから、親の不安というのもまた大きいものではないかと思います。

 今回、まだ付託にはなっておりませんけれども、政府も青少年総合対策推進法案をつくっているようではございますが、これは私も、多少ひきこもりなどにかかわっている人間としては、不十分だと思う点は多々ございます。

 その議論はさておいて、平成十七年六月に出されました若者の包括的な自立支援方策に関する検討会報告、それには次のようなことが書かれておりまして、私は、このひきこもりを考えますときに、自分ではテークノートして大切に思っているんですけれども。

 社会と若者のそれぞれが、若者の自立に向けた責務を背負っていることをしっかりと認識する必要があるのではないか。すなわち、社会の側は、若者には自立し成長段階に応じて社会に参加する権利があることを認識し、これを支援する義務がある。一方、若者の側にも、みずから自立のために努力し、社会にその一員として参加するよう努める責務がある。これは、我が国社会の次代を担う若者とその若者を育成する社会との関係からくる相互の責務でもある。

 つまり、社会、国がやるべきことがある、地域社会がやらなければならないことがある、と同時に、それは国、社会だけの問題ではない、個人もしっかりしなければいけないんですよということを、自覚を促しているので、私は、個人の自覚がなければある意味では解決はないのだろうなと思いながら、片一方では、小さなきっかけで再生できる、社会につながっていくことができる子供もあれば、そうではない子供もあるんだと思うんですね。

 定時制高校の都立新宿山吹高校というところに、私、視察に参りました。一度は、学校にも行きたくない、不登校だ、引きこもっていた、そういう子供が、何かのきっかけで、もう一度勉強したいと目覚めるんですね。

 自発的に勉強したいという意欲を持った子供たちですから大変に明るくて、これからどうするのと言うと、今、昼間働いている、半分親から学費を出してもらって、半分は自分が出しているんだ、大学にも行くんだよと。将来的な夢も持っているんですね。私は、若者たちの世代、まだ捨てたものじゃないと、その子たちを見てうれしくなったと同時に、そういう子供たちは自発的に社会とのつながりを持てる力を持っているんだろうと思うんです。

 この青少年特別委員会でも、渋谷のハローワークジョブカフェに行ってまいりました。そこにいる子供たちも大変明るくて、あなた方は前は何をしていたのと言ったら、それは英語で言うとNEETだよと。えっ、何よそれ、ネットと言ったら、何言ってんの、ノット・イン・エデュケーション・エンプロイメント・オア・トレーニング。あなた、随分偉いこと言うのねなんて言い合うほど明るかったんですが、そういう子供たちはかかわっていくことができる。

 だけれども、何か大きな要因がないと社会とのつながりを持てない、あるいは持ちたくない子供たちもいるんだ、そういう子供たちに、ではどうやったら持たせてあげることができるのかなというのが私の思いであるんですね。

 さっき玄田先生がトライやる・ウイークのお話をなさいましたけれども、あれは、御存じのように、阪神大震災で子供の心が傷ついた、それを、もう一度生きる喜びを感じさせてほしいということでやりました体験活動が非常に大きく役立っている。私は、やはり、ひきこもりとかニート、フリーターの問題は、学校との連携なくしては早期解決できないのではないかというふうに思っております。

 平成十九年、内閣府に設置されました再チャレンジ推進会議の中でも、「再チャレンジ支援策の今後の方向性」の中の「地域における若者支援」という中で、早期が大切であると。

 また、厚生労働省や東京都が行いましたニートやひきこもり状態にある青少年の実態に関する調査を見ますと、やはり学校段階において、不登校にあった、いじめに遭った、あるいは部活をしていなかったとか、中退した、そういう子供たちがニート、フリーターになっているんですね。また、就労面でも、職場の人間関係でトラブルを経験した人、それから人間関係がうまくいかない、そういう子供たちがニート、フリーターになっております。

 玄田参考人に伺いたいのは、学校との連携というのが私は極めて重要ではないかと思っておりますが、その点についてはいかがお考えでいらっしゃいますか。


玄田参考人
 私自身も、学校との連携は、ニート、ひきこもり問題を考えるときの重要な柱の一つであるというふうに思っております。

 その中で、具体的にどういう連携がということを考えた際に、小田原市で親の代から八十年以上そういう支援をされているはじめ塾という塾がありまして、そこの和田さんという方から伺った三つのカンという話をいつも思い出します。

 子供の発展段階において三つのカンをいかに発展させるのか。特に小学校三年ぐらいまでですと、感動の感、とにかく喜怒哀楽という感動体験をする。二つ目が、小学校の高学年段階に、長嶋氏の動物的な勘の勘、つまり、ここから先に行くと危ないとか、ここまでは大丈夫だという二つ目の勘を育てる。三つ目が、中学生ぐらいの段階で、人生観の観という、ビジョンの観を育てる。この段階を適切に踏ませていくと子供はうまく育つ。

 そういう意味では、小中高における連携、もちろん社会全体との連携を、例えばこういうカンの話とかをどう具体的にしていくか。具体的には多分キャリア教育ということになろうかと思うんですが、今、何をどう教えていけばいいのかということについて、まだ残念ながら、学校現場でも、教えなければならないと思いながらも、どう伝えていけばいいのかということの困惑がある。そうした場合に、さまざまな、今のお話のような事例等を集めて、よりキャリア教育で、今こういう危機とか混迷が深まった時代に何を伝えていけばいいのかということの共有ができれば、その連携はかなり進んでいくのではないかというふうな印象を持っております。


池坊委員
 ありがとうございます。

 私は、学校教育の中で体験活動が極めて重要と考えておりますので、政治家になりましてからずっと、文化芸術体験、職場体験、そして、読書をするとか農村などに行く、そういう体験を推進してまいりました。これがもっともっとニート、ひきこもりあるいはフリーター等の支援策の中で連携がとれたらいいなというふうに考えております。

 一言、工藤参考人はそのことについてどうお思いになるかということと、また、工藤参考人は、外国でもこの問題を勉強したりなさっているというふうに、私、調べた資料の中で感じましたけれども、外国で果たしてニートとかフリーターというのが日本ほどいるのか、存在しているのかどうかということもちょっと伺いたいと思います。


工藤参考人
 学校においての体験活動は、すごくすばらしいと思います。その際に、学校の先生だけ体験活動に行くのか、やはり、体験活動をよりおもしろく感じさせるだれかというのが帯同できるのかというのが大きいと思います。

 体験活動も、ただやればいいというよりも、何を感じさせるのかとか、フィードバックをどうするかというのも、先生じゃない、専門家みたいな人が一人でもいいのでいてくれるだけで、学生とか若者にとって、より効果性のある活動になると思います。

 外国に関しては、僕は専門家でもないですし、ただ、いいことをやっていると聞けば、おもしろいことをやっていると聞けば見に行くだけですので、それはわかりませんけれども、昨年、二回韓国に行きまして、来月、再来月、二回韓国に行きます。

 そこで話を聞いたときに、韓国、中国、台湾あたりでは似たような状況、特に韓国は何度か行っていろいろな情報交換をしたんですけれども、日本の今の若年政策の、十五年前ぐらいにやっていた状況かなという感じです。不登校から少し青年期にかかってきた青年たちをどうするのかということを非常に強くやっていまして、本来であればそこから少しひきこもりの問題とかが上がってくるときに、経済がどんと来てしまったので、非常に困惑しているところです。

 個人的な思いですけれども、ノウハウの集約とか好事例というのは、確かに日本で集約して、玄田先生がおっしゃったみたいに、いろいろな場所で使っていくべきだと思うんです。これは私見ですけれども、韓国とかアジアとか中国のそういう青年政策の中に日本が生かせる大いなるソフトコンテンツの一つだというものがあります。

 向こうの方々からもよく言われますし、何でだと言われるんですけれども、日本の政策の悪いところは、すべて発信が日本語だと言われました。最低限、つまり、英語にもなっていない、いいことが。できれば韓国語とか中国語にしてほしい。そうすることで、自分たちアジアの者が、わざわざ苦労せずに、日本がたどった道を活用して、より効果的な若者支援ができるのにということを実際におっしゃっていますし、今、日本のそういう本が少しずつ韓国語訳されて出版されてきている状況でございます。

 そういう意味では、こういう政策はもちろんのこと、まとめたものというのを政府として、または民間でもそうなんですけれども、可能な限り、アジアを中心に、欧米にもどんどん発信をすることで、経済じゃない部分でも、日本というのはすごく、漫画とかすばらしいことはあると思いますので、若者支援とか若年政策に関しても、ヨーロッパから学ぶべきことは学びますけれども、アジアに対して発信できる本当にすばらしいノウハウがそろっていると思いますので、ぜひ、日本という枠組みは当然大事なんですけれども、アジアとのかけ橋の一つのツールとして、こういう若年支援というのを、好事例をまとめてどんどん提供していくということができるんじゃないかなと海外に行って思いました。


池坊委員
 工藤参考人がおっしゃった、体験活動の中にも若い人たちがいたらいいとおっしゃった御意見は、玄田参考人が、若者支援も大事だけれども、若者を支援する若者を支援する方がもっと大事だと書いていらした、それと符合するのではないかというふうに私は思っております。

 例えば、スクールカウンセラーというのは今、小学校、中学校でいるわけですけれども、それと同時に、専門性を有するスクールカウンセラーとは別に、大学生で手を差し伸べる。やはり世代間の距離が短い、それからまた寄り添ってくれる、私は、大切なことは寄り添うということではないかと思うんですね。

 このスクールアドバイザー、大学生の起用ということに大変力を注いでおりますけれども、玄田参考人にお伺いしたいんですけれども、若者を支援する若者を育てるというか、そういう人を集めるというのは結構難しいのではないかと思いますが、具体的にはどういうふうに考えていらっしゃるかをお伺いしたいと存じます。


玄田参考人
 今、池坊先生から御指摘いただいたように、私は、若者を支援する人材を支援することの大切さというようなことをこの何年かお話しさせていただいてまいりました。

 私は、潜在的にはそういう支援をしたいという人材は決して少なくないというふうに思っております。特にNPO法ができて以来、自分たちの世代の問題は自分たちで解決していきたいんだというふうな思いを持っている人材は決して少数ではない。

 ただ、問題は二つあって、一つは、情熱はあるけれどもノウハウが足りない。そのノウハウについては、支援のノウハウと同時に、例えばNPOなら、NPOという事業体を運営するマネージメントに対するノウハウがないということが大きな課題で、そのためには、先ほど別の参考人の方もおっしゃったように、やはり公的に支援するものが必要だろうと思っております。

 もう一つ足りないのは、やはりお金がない。本来は工藤さんの方がお詳しいですが、実際、支援をすることによって就職をする、うまくいけば正社員になったりする若者も決して少なくない。あっという間に、支援してきた方の人材よりも高い年収を獲得するわけです。

 さっき、どこかでワーキングプアという言葉も出ましたけれども、いわゆる支援する側の人材が、親から、おまえ、フリーターやニートを支援したって、おまえ自体がフリーターじゃないか、自分のことを考えろよと言われる社会は、やはりどこかおかしいのだろう。いろいろなことを考えながらも、やはり、さっき結婚とか出産という話が出ましたけれども、それが普通にニュースにならないよう実現しなければ、難しいだろうと思っております。

 そういう意味では、私は、こういう青少年の社会的支援に関するNPOや団体等の寄附税制の拡充等については、より本格的に検討する必要があるのではないかというふうな意見を個人的には持っております。


池坊委員
 その支援の形だと思いますけれども、先ほども、補助の仕方に問題があるのではないかというようなお話がございました。国が支援すればするほど欠損が出ちゃうんだというのは現実であって、多分、国の支援策と現場との乖離があるのではないかと私は思います。

 ひきこもり、ニート、フリーターの問題は、若者と同時に社会にも責務があるんだ。とするならば、私は、国だけでなくて企業にもあるのではないかと思うんです。

 先ほど布袋参考人がおっしゃいました、働く場がないのだと。これだけ経済が不況になってまいりますと、どんどんそういう子供たちの働く場がなくなっていくのではないか。企業は、手っ取り早く、コミュニケーションが簡単にできるような子供をすぐ雇用したいなどということにもなってくるんだと私は思うんです。

 布袋参考人に伺いたいのは、支援する企業へどのような要望を持っていらっしゃるかということと、やはり国の支援の形ですけれども、どのようなことを具体的には望んでいらっしゃるかを伺いたいと存じます。


布袋参考人
 先ほど少し申し上げましたけれども、若者サポートステーションの中で、ハローワークの方が入っていただく、それから地方の企業経営者の方たちも入っていただくというふうに、そういうネットワークを組んでいるんです。どういう言葉がいいんでしょうか、京都なんかでは職親制度みたいなものをつくっているわけですよね、ひきこもりの青年たちが少し社会に出て働き始める最初の取っかかりみたいなところを職親になっている企業主の中で少し学ぶというふうな、そういうところなんですが(参照)。

 要するに、私たちの地方でも、幾つかの企業、それから農業なんかをやっている人たちが、引きこもっている青年と一緒にミカンとりとか、ミカンとか梅がうちの特産ですから、来てもいいよというふうなことを言っていただける方が今幾つか出てきているわけですね。

 まあ言うと、彼らがちゃんと働き手として十分できないわけですから、いろいろなことを教えてもらわないといけないわけですから、要するに世話をかけるわけですから、その人たちにある程度、世話かけ賃というようなお金を本当は払いたいわけですよ。だけれども、それがうちなんかにはありませんから、もう本当に、ボランティアで何とかやってくれというふうに言うよりしようがないわけですね。そういう支援をしてくれる企業家さんたちに補助を出すような、そういう仕組みができ上がっていくといいなというふうには思っているわけです。

 ただ、僕らはそういう企業主たちにどういうことを言っているのかというと、企業の社会的貢献の問題だとかなんとかと言って、Aという企業はこういうひきこもりの青年たちに対してこんなに理解を示しているということを新聞なんかに出しますからそういう意味では宣伝になるよとかなんとかと言って、職親みたいな形になってもらっているということですね。

 だけれども、本当に、ひきこもりの青年たちをこのままほっておくわけにいかない、不登校の生徒たちにもちゃんとした手厚い支援が必要だというようなことをちゃんと思っていろいろなふうに協力してくれる企業さんたちもいることはいます。

以上です。


池坊委員
 ありがとうございます。

 玄田参考人は、かつては、ぜいたく病と言われて、富裕な子供たちが親の庇護のもとで生活していくことの安心、安全でこういうニートができたけれども、今は、そうではなくて、貧困問題だというふうに言っていらっしゃいました。私は、どこかでこの世代間連鎖というものを断ち切らなければならないと思います。

 児童虐待防止法をつくりましたときも、いろいろなところを視察に参りましたら、やはりこれは世代間の連鎖があるんですね。自分が虐待を受けて育った、それはやめなきゃいけないと思いながら思わずやってしまうということがございまして、どこかでそこから働く意欲を持たせるということが重要だと思いますけれども、その点については、どのようにお考えでいらっしゃいますか。


玄田参考人
 貧困の再生産という言葉が学問的にもございますし、今御指摘のとおり、本当に、親の世代のさまざま抱えた問題がストレートに子供の世代につながってしまう、特に負の面がということは、今の日本の大変深刻な状況かというふうに思っております。

 同時に、一方で、大変難しいのは、個々の家庭にどれだけ外部が介入することができるのかという大変深刻な問題も抱えていて、多くの場合、その答えというのを教育に、学校教育に求めるわけですが、かといって、では学校教育ですべて解決かというと、そうでもない。そういう面では、非常に答えの持ちにくいところであるというふうに私自身は思っております。

 では、なぜ貧困家庭の若者たちが、貧しくお金がないにもかかわらずニート状態を結果的に選んでしまうのかといいますと、多分、どうすればいいんだという具体的な道筋が見えないから。昔は、貧しいながらも、向こう三軒両隣というような、比較的いろいろな、進学はしない、エリート的ではないけれども参考になるような大人が身の回りにいて、それを一つの足がかりにして人生のさまざまな道のりを歩んでいくというようなことが多分あり得たのではないか。

 私は、やはり昔の言葉にヒントはあって、他人の飯を食うと昔は言ったように、他者がうまくかかわることによって若者を支えていく、家族にも責任があるけれども、やはり地域で守り育てていくという原点に戻っていくということになるのではないかというふうなことをいつも思っております。

 ニート若者は、意欲がないわけでも能力がないわけでもありません。私は、強いて言えば、希望がないんだというふうに思っております。希望には、願いと実現可能性と具体性と行動が必要であります(参照:希望学)。具体的に何を考え、何を実現し、何を行動すればいいかというふうな具体的なイメージ、自分の中の見込みというのが持てるようなコミュニティーづくりというのが、結局は、この貧困問題、若者問題の一つの解決策を導くのではないか、そんなことを考えております。


池坊委員
 私も、教育問題の中で、私は子供たちにどのように希望や夢を投げかけていくことができるのか、そして、子供たちが未来に光を感じて生きることができるか、これはいつも心している問題でございます。

 川越参考人がおっしゃったように、これは、家庭教育のあり方、学校教育のあり方、地域とのかかわり方の問題ではないかと思っております。

 私もまた、さらに皆様方と共通認識を持ちながら勉強し、いい政策の数々を打ち出してまいりたいと思います。

 きょうは本当にありがとうございました。


末松委員長
 次に、石井郁子さん。


石井(郁)委員
 日本共産党の石井郁子でございます。

 きょうは、参考人の先生方のそれぞれのお立場から、また、実践を踏まえながらいろいろ貴重な御見解、御意見を聞かせていただきまして、本当にありがとうございます。

 工藤参考人から、日本では政策立案に若者がいないということを言われまして、改めて、はっとしたんですけれども、私も、かねがねそのことは思っておりました。

 例えば、子どもの権利条約がありますよね。日本政府も批准しています。そして、子供の意見表明権、意見という訳がいいかどうかという議論はあるんですけれども、子供はあらゆる政策立案に参加すべきだという国連の条約、そして勧告も出ているわけですけれども、一向にそれが進まないというのはちょっと日本の問題かなとずっと思っておりました。

 まず最初に、そういう問題をちょっと念頭に置きながら皆さんにお聞きをしたいんですけれども、このニート、ひきこもりの問題に取り組まれてから、相談窓口という形では、声を聞くという状況はかなりいろいろなところにつくられたというふうに思うんですね。

 田辺では、大変早い段階からひきこもり相談窓口の開設、これは平成十三年だということですけれども、あちこちで、こういう形では、まず窓口はできていると思うんです。それは工藤参考人のところでもそうでしょうし、それから玄田参考人も、総合労働相談コーナーというのは大変やはりいい役割を持つよという話をされたと思うんです。

 それで、私が伺いたいのは、これは、あるこの問題に取り組んでいる方からお聞きしたんですが、日本の場合には、そういう相談に、悩んでいるというか困っている青年自身が足を運ぶということは非常に少ないんだ、来られるのは保護者の方ですということを聞いたことがありまして、そういう状況というのはなぜ生まれるのかということと、それから、もう大分時間もたっておりますから、最近の変化は何かあるのかどうかということや、それからまた、そういう意味では、日本のニート、ひきこもりという子供たちがみずから声を上げるということにどういう困難があるのか、これはヨーロッパなんかと比べても非常に違うのじゃないかなという気もちょっとしているものですから、その辺を、玄田参考人、工藤参考人、それから布袋参考人にお伺いできればと思います。どういう状況になっているのかということですね。


玄田参考人
 私は、なぜ保護者が多く来るのかということは、私自身の理解は、やはり、世間体といいますか、子供を外には出したくない、そして親が解決しなければならないんだというふうな家族観というのがいまだに強く残っているんだろうということを大変強く思うのが一点。

 もう一点は、実際、子供たちがみずから相談に行こうと思っても、身の回りに、地域にそういう相談場所があったらいいわけですが、例えば県庁所在地等にある相談所に通うまでに交通費がかかる。実際、この交通費がばかにならなくて行けないというふうなケースは、幾つかの都道府県では現に存在していると思います。

 家族観の問題、経済的な問題、さまざまな問題があって、発信するならばインターネット上、唯一そこで、はけ口のない、はけ口にもならないような不満を噴出させているというのが現状ではないかというふうに、私自身はそういうふうに考えております。


工藤参考人
 最近の傾向ではないんですけれども、先ほど、ひきこもりの相談窓口とかということもございましたが、保護者の方も本人の方も、相談の段階で、私はニートです、私の子供はニートなんですと言うことは余りない。こういう状況ですと御相談を受けて、それだったらこうしましょうということで、実は、政策の中では、若者の単語というか、名称はニートとかと出てくるんですけれども、相談現場では余りその単語そのものが飛び交わないんです。こういう状況だからどうしよう、そういう状況だったらこちらへ行ったらどうですか、こうしましょうというのはあるんですけれども、ひきこもりとかニートであるから何かができるというわけではないのです。

 相談窓口はたくさんできたんですけれども、こっちはニートのためとか、こっちはひきこもりのためとかというときに、では、自分はどっちだろうとか、自分の子供はどっちだろうというのはやはりわからないので、そのときに、例えば地域若者サポートステーションの理念にあるように、総合相談窓口ですよ、先ほどの総合労働センターですか、要は、とにかく何でも来ていいんだ、病院の初診なんだ、そこから先は専門のところにつないでくださるという、その理念がいっぱいあった方がいいと思うんです

 私は内科です、私は外科ですとばらばらにあっても、とりあえずそこに行ってみようということにはなりませんので、やはり、どこに行っていいかわからないから動けないという前提の中で、来やすい、ネーミング的に言うと、政策のネーミングであるとか窓口のネーミング一つで、もしかしたら心のハードルというのは下がるんじゃないかなというふうに思っております。


布袋参考人
 引きこもっている若者は、引きこもっているから、出られませんから相談に来ません。その御家族が心配して、こんな状態なんですがどうしたらいいですかと、こういうふうになるわけです。その御家族のケアをしながら、少しずつ少しずつその家の近くに行って彼らに会う、こういう感じになりますね。

 それと、少し元気になった青年は、やはりみずから動いてきますし、さっき工藤さんが言われたんですが、若者サポートステーションなんかには本当にいろいろな、本当に引きこもっていて今ちょっと首を出したというふうな若者から、かなり元気な若者、非行系の若者というんですか、そういう若者もいますし、サポートステーションの方では心理士なんかもいますから、そこで分けるわけですね、ここへ行った方がいいよというふうな形で分けてくれたりするわけです。

 うちの窓口の方も鑑別診断はやりますから、この人はやはりもう一度精神科医にとか、あるいは心理士の相談にとか、あるいは居場所のところにとか、あるいはサポートステーションのようなところへ行って就労も考えていいよとか、こういう区分といいますか分けをつないでいくというふうなことはやっているわけです。


石井(郁)委員
 ありがとうございます。

 今、一つのキーワード的にというか、総合ということが大事だと言われて、なるほどなというふうに思ったんです。田辺市の場合もそうですよね。本当に、専門家、いろいろな方々がネットワークをつくっておられるのがやはり非常に特徴で、強みといいますか、入り口は漠としていても、そこからいろいろと次のステップが用意されるというか、それが大事かなというふうに一つ私も思いました。

 次の問題なんですけれども、やはり中心問題は、仕事というか就労だろうというふうに思うんですね。

 人間は、生きていく上では絶対働かなくちゃいけないし、これが人間の人間たるところだと思うんですけれども、それが大変困難だという問題だろうと思うんですね。ですから、ニート、ひきこもりの方も、働きたいという気持ちはあるけれども、やはり働けない。そこには、動機づけ、意欲もあるでしょうけれども、技能、技術の問題もあるでしょうし、いろいろあると思うんですね。だから、そこら辺で、ステップアップしていくとか援助をするという大変な問題や、いろいろな努力が要るんだろうと思うんです。

 就労ということについて、こういう若者への支援といった場合に、本当に一番大事にしなきゃいけないのはどういうことなのかという問題、ちょっと漠としているかもしれませんけれども、教えていただければというふうに、それも、玄田参考人、工藤参考人、布袋参考人、それぞれお願いしたいと思います。


玄田参考人
 私は、今回、委員会の趣旨とは違うかと思って余り発言申し上げませんでしたが、ニート、ひきこもり状態も含めて、就労の最初のステップになるのは、現実的には非正規雇用であります

 ニート、ひきこもりが即座に正社員になることは、本人も親も求めはしますが、現実的には難しく、仮になれたとしても、そこで挫折をしてもとの状態に戻る。そう考えると、次の段階は、就労になった場合に、非正規雇用の就業状況をいかに改善していくのかという昨今の大きな問題に当然ぶつかるわけであります。

 例えば、非正規の問題についてどういうふうに考えていくのかということになった場合に、繰り返しになりますのでもう申し上げませんが、まず一つは、非正規にも、決してすべてが悪い状況の場合でもない、非正規、派遣、請負でも責任を持った雇用管理をしている会社もあるのは事実ですが、そうでないところもあるときに、どうやって本人が自分の身を守るかというふうなことでは、総合労働相談コーナーでありキャリア教育だということが第一の認識であります。

 もう一つは、実際問題、非正規だけれどもいかに安定した働き方ができるか。非正規でも一番最悪のケースは、転々と転職するケースであります。一たん非正規になりますと、フリーターになったり非正規だと正社員になれないというふうな言葉が社会では流通しておりますが、総務省労働力調査詳細結果等を見ますと、年間四十万人は非正規から正社員への転職を遂げている現実があります。

 では、非正規から正社員になれている人の特徴はどういうところかと見ますと、もちろん医療とか福祉等の資格を持っているケースもありますが、もう一つ欠かせないのは、非正社員でも、三年から五年、地道に継続して働いた経験のある人が実際には正社員になりやすいという事実があります。

 なぜそうなるかというと、理由は簡単で、正社員として採用するときに、採用後にすぐやめられたら困るわけです。賃金の問題、社会保障の手続等で、入ってくる人間がすぐにやめられたら困る。どこで見るかというと、非正規でも地道に継続して働いた経験があるということは、大変大きな、その人にとっての履歴書を超えた守りになります。

 ただ、二〇〇二年の労働基準法改正で、今、有期雇用は三年が上限であります(参照)。本来ならば、果たして三年でいいのか、今の状況ならば、場合によっては五年もしくは十年、非正規でも地道に継続して働き、実績、経験を積むことが総合・正社員になり得るということを考えると、労働基準法そのものについて、もう一度改めて検討する時期に来ているのではないかというふうに考えております。

 以上です。


工藤参考人
 大体半年から二年ぐらいで九割ぐらいのニートとかの若者を就労させているんですけれども、正社員は、やはり一割五分から二割ぐらいです。働き口として最初につきやすい非正規であると同時に、本人たちも、ある意味、練習の場としてそれを望む部分が若干あります。自分なんていうのは正社員からはまだ無理なので、まずはフリーターからやりたいんですというのは、彼らの声の中にはあります。

 一度働き始めると、基本的に、もう一回離脱するというケースは、うちはそれほど多くありません。それは、仲間がいたりとか、いろいろな要素、家族の御協力をいただいたりというのがあると思うんですけれども、仕事につくステップの中で大事なのは、不安の解消と経験不足を補うこと、これでも大丈夫だと言ってあげることなんです。

 そこで、非常に難しいものではありますけれども、彼らがまずは社会参加の一環として練習をしつつ多分人のためになるであろうという部分で、いろいろな地域の方に経験先をくださいということになるんですけれども、大体シルバー人材センターとバッティングします。肉体的な労働の中でそこまで負荷が高くなく、それも若者も一緒にやってもいいんじゃないかという話はよくしておるんです。

 もちろん、その仕事をとるとかということよりも、シルバー人材センターの方なんかにも聞きますと、ある部分は経験でできる、経験がないとできないんだけれども、やはり若者の元気な肉体といいますかパワーの部分が、一緒にやれたらもっとコストが下がるとか、もっといろいろな事業を受けられるという意味で、シルバー人材センターに行くようなお仕事を何らかの形で共有させていただいて、高齢者の方も若者たちも一緒になって、その地域で地域のそういう仕事というのを分け合っていく。

 どちらも、それで食べていくというよりは、高齢者の方は食べていくというのはあるかもしれませんけれども、若者にとっては、そこにいるというよりも、次のステップの練習であり、他世代とのかかわり合いの位置としては、非常にやわらかく、すてきな場所だと思いますので、何か人材センター的なもので若年の中にも地域の仕事を、できればシルバーの方と一緒にやるようなことが一部法律でも何でも許されれば、かなりの確率でいろいろな地域で、自転車を整理するとかもそうですけれども、あれだと体力仕事の部分がありますので、そういう形で、若者のためだけじゃなく、地域のためとか、高齢者の方とも一緒にできる仕組みみたいなのができると、就労までの間のステップというのはかなりクリアできるんじゃないかというふうに思います。


布袋参考人
 就労に向けて一番大事なことでしたね。

 ちゃんと言葉が使えないとか、普通のあいさつができないとか、基本的な生活習慣という言葉を学校でよく使ったんですけれども、そういうことが身についていないというか、そういう青年がすごく多いわけですよね。

 自分のことを余りちゃんと表現できないということもありますから、すごくゆっくりしたペースで人との関係をつくっていくということ、それから、社会に出ていくときに、仕事ということについてゆっくりとしたペースで体験させていくことが大事なことではないかなというふうに僕は思うんです。

 それと、もともとは、いわゆる学力というんですか、よくできる青年が多いと僕は思っているんですけれども、感じやすいし、人よりも考え過ぎてしまうというふうなことがあったりするんですよね。よく聞いてみると、例えば病院の清掃を体験して回ってもらいますよね、すると、自分はこんなことをやる人間ではないんだということを言ったり、先ほど僕が言いましたけれども、精神障害者の就業支援センターみたいなところで、ジョブコーチがついて一緒にトレーニングして回ったりすることがあるんですけれども、自分は精神障害でない、自分はもっと確かな仕事ができるし、確かな人間であるんだと。要するに、もっとできのいい人間なんだというふうに思っているんですよ

 そうかもしれないんだけれども、現実は、ちゃんとあいさつができなかったり、朝、ちゃんと起きられなかったりするんですから、そこら辺、自己を肥大化して観察してしまっている。そういうふうなところを少しずつ解きほぐしながらいくという時間が必要になるんですよ。だから、時間にするとどのぐらいかかるかわかりませんけれども、すごくゆっくりした歩みだ、こう思っていただいたらいいと思います。


石井(郁)委員
 今、日本で雇用問題、特に若年者の雇用問題でいうと、高校を卒業しても職につけない、あるいは高校中退者問題等々が一つ大きくクローズアップされていると私は思うんです。

 玄田参考人からも指摘されたところなんですけれども、高卒後五年間は、正規雇用にはつきたいと希望しながら、しかしアルバイト、派遣という形で、時給八百円程度でずっと働き続ける。こういう子供たちは、もうその道の繰り返ししかないと言われているんですよね。それで、不規則な労働時間、低賃金を補うために、肉体的にも精神的にもしんどさが増していく。だから、抜け出す道がないというか、これが非正規の仕事の一つの問題だというふうに思うんですね。

 そういう問題を考えますと、不安定な職でずっといくことでますます希望も失うということを考えますと、その状況を根本から変えるためには、玄田参考人が幾つか提起されましたけれども、社会として、そういう子供たちをその状態に置くということは社会から排除していくことにもなるわけですから、やはり、受け入れるというか、若者たちの自立を本当に支えていくようなセーフティーネット、それが日本ではないし、今後どうつくっていくのかということになるんだろうと思うんです。

 もう時間ですので、その点で、今、貧困とニート、ひきこもりが非常に大きく連鎖しているということを言われましたので、私もそのとおりだと思っていますので、最後に、玄田参考人、一言御意見をいただければと思います。


玄田参考人
 私は、若年問題を何年か勉強してまいりまして、この十年間ぐらいはかなり大きな変化はあったというふうに思っております。例えば若者の問題についても、十年前は意識の問題もしくは親が悪いという意見が強かった。今も決してないわけではありませんが、随分社会の見方は変わりつつあるように思います。

 ただ、これをどうさらに進めていくかというときには、きょう再三議論のあったような、セーフティーネットをつくるための意味合いとか、なぜ若者をサポートしていかなければならないのかとか、多分、今、ニートとかひきこもりに結構厳しい意見を持つ人々の一部には、実際、そういう経験を持っている人たちがいらっしゃいます。例えば、自分たちもひきこもりでニートだったけれどもここまでなったんだから、国がやるとは何事だと。

 ただ、そういう方々の中には、例えば有名なアーティストとかタレントさんというのがあって、今、日本が進めようとしている、さっきソフトコンテンツの輸出というのがありましたが、実際には、そういう方々が抜け出していくことが社会全体の、クール・ジャパンではないですけれども、戦略になるんだということ。

 それから、きょう再三支援人材の育成と申し上げましたが、私は、それは若年支援人材だけではなく、問題の根幹は、さっきもお話があったように、社会とつながれない方々が大変ふえてくる、これから高齢社会がますます進んでいくときに、ニート問題、中高年ひきこもり、必ずや高齢者の孤独死が、これが逆の意味で話題にならないぐらいに頻出するときに、それをサポートするような人材を今から計画的に育成していかなければ高齢社会への対応にもならないんではないかと思っております。そういう納得ができるような説明をした上で継続的な支援をすることによることがセーフティーネットづくりの第一番、まずは、こういう支援をすることの認知がどう全体に広まっていくかではないかというふうなことを考えております。


石井(郁)委員
 どうも本当に、いろいろな角度からの貴重な意見をいただきまして、ありがとうございました。
 終わります。


末松委員長 
 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人の皆様に一言御礼を申し上げます。

 皆様におかれましては、貴重な御意見を賜りまして、本当にありがとうございました。いただきました御意見を参考にして、また青少年問題の推進に役立てていきたいと思います。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。


    午前十一時五十八分散会


*1:こちらの記事が「はてなブックマーク」に上がっていて(参照)、議事録の存在に気付きました。