長所短所

  • 【他者のリベラリズム
    • 「圧倒的な弱者」あるいは「被差別者」は、「多彩なパースペクティヴが散乱する他者の海のなか」で、溺れるしかない。そのような者は、「対話と交渉の相手」としての他者であると同時に、「保護と支援の相手」としての他者である。▼「当事者」という特権性を設定されることでしか居場所と承認を得られない個人は、「多彩なパースペクティヴが散乱するリベラルな言説のアリーナ」の中では、「悲惨の中に放置される」以外ないのではないか。つまり「言説の自由競争」においては、各人の初期条件がちがうために、それは「多彩なパースペクティヴが散乱する」形にならず、「勝者の言説の乱舞する」アリーナにならないか。
  • 【当事者主義】
    • しかし一方、「当事者主義」(偶有的個別性の絶対化)においては、みずからの特殊事情を社会的に尊重することを無条件に求めるのみで、その尊重がほかの他者たちやマクロレベルにおいてどのような影響を生むか、あるいは自分の苦痛を解消するためには自分を尊重させるだけではダメで、他者たちとのバランスにおける総合的なインフラ整備が必要なのだ、といったことにはなかなか思い至らない。そうした観点を導入するためには、やはり「他者のリベラリズム」の姿勢が有益ではないか。(「複数の他者たちが散乱できるアリーナの設計図」の必要。)*1

あまりにも当たり前の結論かもしれないが、現時点では「どちらも必要だ」と思える。





*1:ニート」概念を策定する玄田有史氏と、それを忌避し、「教育に職業訓練機会を」と主張する本田由紀氏のちがい。 玄田氏は「当事者主義」的で、本田氏は「他者のリベラリズム」的と言ったら、大雑把すぎるだろうか。