内藤 → 上山 (11月9日)

上山和樹さま


拝見いたしました。
わたしは議論になると同じ点よりも、違う点に興味が集中するタイプなので、まず、
9割方賛成と前振りをして、おもむろに楽しい方をはじめます。


わたしは不平等を、さまざまな個別の領域ごとに、許容できる範囲内のものと、許容
できないものとに分ける必要があると思います。
言論のアリーナでの論理的思考能力に起因する不平等は、保持しなければならないと
思います。
論理的な矛盾を突くとか、統計データを示してでたらめな憎悪キャンペーンを論駁す
るとかいった、言論のアリーナは、
論理的に矛盾だらけの言明をする人や、統計を無視して自分の体験だけで世の中全般
を呪うタイプの「当事者」には、不利になるべきなのです。
それを保持しないと文化大革命のつるしあげのようになります。
文化大革命的アリーナでは、罵倒と断片論理をデザインするのに長けた最悪の策士が
生き残ります。
わたしがブログで常野氏に示してしまったかもしれない嫌悪感は、そういうところに
あります。
コミュニケーション・メディアが「真理」であるというルールを取っ払って、「当事
者」らしさのムードであるということにすると、
「ニセひき=ニセ当事者=ニセプロレタリアプチブルインテリ反動」といった憎悪を
効果的に組織する者が勝つのです。


それから他者の海は、単数ではなく、複数で考えればよいと思います。他者の海は言
論のアリーナがすべてではありません。
海が一つしかなければおぼれますが、複数あれば別のコミュニケーション・メディア
でぷかぷか浮いているでしょう。


内藤朝雄