「戦術的アイデンティティ」(岸政彦氏の指摘より)

当事者性を「降りる/降りない」について。

たしかに従来の民族的アイデンティティが、個を抑圧する機能をもちあわせていたこともまた事実であり、そこからの脱却は重要なことである。しかし、集団的アイデンティティの「必要性」までも否定することはできないはずである。否定されるべきは、必然的(所与的)アイデンティティであり、必要に迫られた「戦術的アイデンティティは、むしろ積極的に擁護すべきではないのだろうか。*1

「必然的(所与的)アイデンティティ」は非合理な偶有性(当事者性)であり、「戦術的アイデンティティ」は合理的選択(他者のリベラリズム)。▼ここでは、合理的な選択(戦術策定)の結果、偶有的な当事者性(属性の主張)が選択されている。