若年層における、「揉め事」要因の撤廃(1)――「情報」

参加者の一人だった五条(id:hikilink)さんの感想には、次のように記されている(強調はご本人)。

 フリーターのなかには、自分が置かれている状況を理解できていない人が結構いるのだろうと思う。派遣や請負の形で労働することは決して悪いことではないのだけれど、収入や将来性の点において限界があることも事実である。こういった労働形態の正と負の両面を理解して働くのならよいのだけれど、何もわからず、ただなんとなく働いている人が多いのではないかと心配だ。 (中略)
 ドキュメンタリー作品の放映後は、大学教授(研究者・活動家)と労働組合の幹部さんによる講演が行われた。(中略)労働組合は必要だと思うけれども、ああいった場違いな話は正直つまらない
 私の問題意識は「フリーターの人にどうやって情報を伝えるか」ということに尽きる。こういうことがらは、個人の問題に還元するやり方であるから、労働運動的には批判されてしかるべきだと思う。 しかしながら、流動的な世の中で暮らしゆく私たちは、私たちとして生きていかなければならず、そのためには、やはり生きてゆくのに必要な情報をきちんと持たなければならない。

この感想から浮かび上がってくるのは、
≪個人として為し得る努力は、基本的に「情報収集」の一点にしかない≫という信念ではないだろうか。 「しっかりした情報収集能力さえあれば、的確な選択行動をとれる」、というか、「情報収集以外の局面で努力しても空しい」。
これは、ひきこもりに関する情報サイト管理人としての面目躍如ともいえる。 「闘争」を焦点とする労働組合系の取り組みとは対極的に、「揉め事にするよりも、現にある制度と情報において、可能なかぎり頭よく振る舞いましょうよ」という現実感覚ではないか。 ▼例えばそこでは、自分への改変行為は、「問題意識の洗練」ではなく、薬物を使った「チューニング」という形をとる*1

    • 上記引用箇所には、「こういうことがらは、個人の問題に還元するやり方であるから、労働運動的には批判されてしかるべきだと思う」とご自分で書かれているから、かなり自覚的な選択なのだろうが、労働法に関する話まで「場違い」と表現するのだから、よほど激しい違和感だったのだろう。

当然ながら、こうした現状肯定的な順応姿勢は、一方ではどうしても必要だと思う。「闘い」の要素が必要であるとしても、戦果を待っていては生きられないのだし、あるいはまた、「闘争」を口実にして、自分に有益であるはずの情報収集を怠っていいはずはない。
しかし、やはり問題は、課題を≪情報≫レベルに限定することによって、構造的・制度的・あるいは慣習的に被っているはずの不利益について、問題意識そのものが消失してしまうこと。情報を集めることでは乗り越えられないトラブルや不利益の要因というのもあるはずで、そうした事情については、(≪情報≫のみならず、)≪環境の条件≫や≪状況の論理≫そのものを俎上に上げざるを得ないはず。だから「有益な情報」には、自分の権利を守ってくれるかもしれない法律情報も含まれるはずだ。


たとえば id:hikilink さんは、「本人がその気になって情報収集すれば、いつでも苛酷な雇用環境を抜け出せる」といった前提で話していないだろうか? 「環境要因を放置するかぎり、努力しても抜け出せませんよ」というのが、昨今の「不平等」論であると、私は認識しているのだが・・・・。
――しかし、「現状の環境要因と自分の属性のままでも、やればどうにかなるかもしれない」というのは、たしかに希望のある話で、こうした抜け道の可能性については、私もすぐに否定したくはない。いわば、「変な活路」の可能性。



*1:この点については以前も触れた