「手続き上の環境整備」と、「そこにすら近づこうとしない人」

友人が教えてくれた話で、少し気になっていることがあります。
関西に、保守系の討論番組として有名な『たかじんのそこまで言って委員会』というのがあるのですが、そこで名古屋の野宿者にインタビューするシーンがあったとのこと*1。 するとそのマイクを向けられた男性は、非常に政治的にしっかりした言葉遣いで、「住むところをくれ」「仕事をくれ」「生活資金をくれ」云々といった趣旨の演説をぶったそうです*2。 → カメラがスタジオに切り替わると、「あんた何様や!」と大ブーイングになったらしい。


同番組では「ニート」が取り上げられたことがあり、以前その視聴ルポをアップしたのですが、出演者たちのブーイングの最大焦点は、「我々の血税を連中のために使うな!」ということでした。この番組は、税金の無駄遣いや理不尽な天下りを批判したりもしているのですが、それと同じ≪義憤≫として、「ニート対策費」や「演説する野宿者」に怒っていたのだと思います。
ずいぶん昔、あるTV番組でアンケートをしていて、男女同数に「ホームレスになりたいと思ったことはありますか?」と質問。女性は全員が「いいえ」でしたが、男性のかなりの人数*3は「はい」。 → 「はい」と答えた人たちに理由を尋ねると、「仕事や家族への責任を負わなくていいから」。やはり嫉妬や羨望がある。
窮状を知らない人たちからすれば、「ニート・ひきこもりや野宿者は、みずから望んでそういう状態になっている」という理解になっている。 → 「自分で好きこのんでやっているくせに、そのうえ支援のための税金拠出を要求するとは何事か!」ということでしょう。


そこで、戦略上の問題として具体的に考えたいのは、政治的要求(というか努力目標)としては、「カネよこせ」ではなく、「努力すれば何とかなるような手続き上の環境整備をしてくれ」という形を取る必要があるのではないか、ということ。 【これはもちろん、「脱落しても復帰できる」というあの課題です。】
「弱者に追い込まれている理由」と、各ケースにおける「努力のしどころ(焦点)」は、障害者・ひきこもり・野宿者などでそれぞれ違っているわけですが・・・・、「予算を引っ張ってきてナンボ」というような発想では、どうしようもないのではないか。
以前にも触れましたが、「手続き上の環境整備が必要」というのは、生田武志さんの「カフカの階段」の問題だと思います。つまり弱者サイドとして、「俺たちを“吊り上げてくれ”とは言わないから、せめて“努力すれば登れる階段”を用意してくれないか」というような・・・・。


そしてそこで、またしてもあの問題に還ってくる。
社会参加や、「生き延びること」についてすら自発性を持てずにいる(つまり「この世を選ぶことができず怯えている)引きこもりは、やっぱりいかなる支援からも取り残され、置き去りになるしかないのではないか、と。



*1:番組サイトの資料室によると、「第78回:2005/2/6 放送:ホームレスを考える」だと思われます。

*2:友人の主観もあるかもしれません。観ていた方、詳細希望。

*3:パーセンテージは失念