自発性再生事業

「自由放任では社会(国)が破綻するのだから、自発性を踏みにじってでも結婚や労働を義務化すべきだ」は、本当に継続可能な指針と言えるのか。 【自発参加の要因を伴わない義務】
→ 過剰な義務の強制は、結果的に全体を破綻に導いていないか。 ▼問い : 「徹底した義務の強制は、いつの間にか自発性の温床になる」という説は、すでに教育学や社会思想で論じられているのか?


ニート・ひきこもりに「労働を強要する」のは一部で根強い人気を誇る意見だが、「性愛を強要する」のは政策論としては無理があるから*1、「性愛脱落者を差別する」ことを、施策のように機能させるということだろうか。 しかし、ホームレス差別は、ホームレス減少化に役立っているか?
あるいは、宮崎哲弥氏がニート税について語ったように、「恋愛・婚姻につかず、就活動すらしない者」(Not in Marriage, Love, or?*2)には重い税をかけ、施策として就愛を促すか。
→ 「脱落者を追い詰める」というだけでは、社会への再包摂施策として現実味がないのではないか。 【「本人にすら気付かれてはいないが、すでに機能しているはずの無意識的自発性」をターゲットにできないか。】

「奉仕」の義務化

 活動内容はボランティアと同じだが、「生徒が自発的に行うのではないため『奉仕』と呼ぶことにした」としている。

volunteer”というと「善意」「青臭さ」「自分探し」などが強調されがちだが、最も核心的な点は(語義から言って)「自発的」ということのはず。 「そんな行動は自分探しだ」と言って馬鹿にするより前に、そこに実際に「自発性」が起動していることのほうに注意すべきではないか。 といっても手放しで賞賛するというのではなく、「自発性」の起動機序に注意し、これが社会的に重要な因子であることを考えるべきではないか。





*1:シミュレーション的にでも検討する価値はあると思うのだが。

*2:『loveless zero』さん : 「Not in Love, Sexperienced, or Talking。恋愛してない、経験なし、(異性愛者の場合)異性と話すこともない」。 あるいは「非婚化と『雇用のミスマッチ』というのは、根っこが同じ気がします」。