2005-01-03から1日間の記事一覧

「迷惑」 → 「棲み分け」?

未就労や未就愛が周囲の個人にとって「迷惑だ」とすれば、これはやはり個人間の「契約」の問題として語れるだろうか*1。 「就労も就愛もしていない人間には社会性がない」が迷惑だとすれば、それは「就労・就愛」そのものが問題なのではなく、「対人関係レベ…

≪契約≫への誘致

自発性の契機を含む参加、すなわち≪契約≫*1という要因が重要。*2 生活のの継続的運営のためには、自発性鼓舞が必要。 → 強制的要因(義務)の設定は、「自発性を生み出すものに向けての強制」というレベルに留める必要がないか。 強制されたのではない、本来…

「能動のつもりが受動」

「自発性」は、社会を構成する必須因子として恣意的に利用されている、という妄想? 「何かを考えてきたつもりで実は考えさせられてきただけではないのか」*1 鎌田の批評においては、この種の「能動のつもりが受動」への恐れが強迫観念的につきまとっている…

自発性再生事業

「自由放任では社会(国)が破綻するのだから、自発性を踏みにじってでも結婚や労働を義務化すべきだ」は、本当に継続可能な指針と言えるのか。 【自発参加の要因を伴わない義務】 → 過剰な義務の強制は、結果的に全体を破綻に導いていないか。 ▼問い : 「…

≪自発≫: 自然(じねん)と人工

「愛する責任」「自発性をもつ責任」 → 自然(じねん)的な愛や自発のないところでの人工的責任とは何か。 親への愛や社会(国家)への自発性を持てない場合、「愛(自発性)を持て!」(愛や自発性の強制)ではなく、すでに機能しているはずの自発性への作…

「強制的自発」

「責任としての自発性」という話は、「愛国心」をめぐる一連の議論を思い出させる。 「国を愛するのは当然だ(自発的に愛国心を抱く責任がある)」 「愛国心を持たない人間は義務を果たしていない」 「愛国」に関して、三島由紀夫や丸山真男の言説の流れから…

 自発と契約

1ヶ月前、「関連する思考草案」としてアップしたものに少しだけ手を加え、再掲します。