「強制的自発」

「責任としての自発性」という話は、「愛国心」をめぐる一連の議論を思い出させる。
「国を愛するのは当然だ(自発的に愛国心を抱く責任がある)」
愛国心を持たない人間は義務を果たしていない」

「愛国」に関して、三島由紀夫丸山真男の言説の流れから愛国には「強制」と「内発」があると語っていた。 三島由紀夫が徴兵制や愛国の義務化に徹底して反対していた例や、丸山真男の愛国が強制されれば必ずしも愛国者でないものが人に認められたいがため愛国的に振舞うことを挙げていた例を挙げ解説。 愛国の強制などこれほど信用の置けないものはないと。*1 【三島由紀夫が兵役は「義務」ではなく「権利」であると言っていたのもこの図式で理解できる。*2



「権利」は自発性に関わる。【降りる権利と参加の権利
「義務」は自発性との関係にある強制。 自発性のないところにある義務は「拷問」?
ひきこもり・ニートにおいて問題になっているのは「課題脱落」、すなわち自発性の喪失。





*1:以上、こちらより。

*2:id:kwkt さんによる注