報道特捜プロジェクト・ニート特集、ご本人がYouTubeにアップ

気になったところをメモ。

  • 取材を受けられた鈴木氏(id:rahoraho)は「家族に迷惑をかけても構わない」というが、それはご家族との交渉関係において言うべきことで、TV出演者(視聴者)に向けて言っても、いたずらに反感を買うことにしかならない。 ▼本人が「この状態で構わない」と思っていても、ご家族は「許せない」「無理だ」と思っているかも知れない。 生活を直接支えている当事者であるご家族を飛び越え、鈴木氏とTV出演者(視聴者)が直接やり合ってしまっているが、文句をつけたり肯定したりする権限や能力は、まずもってご家族にあるはず。 逆に言えば、ご家族との交渉・契約関係が成立しているのであれば、単に一方的に「迷惑をかけている」のとは別の話になる。
  • 深刻な引きこもり状態については、アイメンタルの事件両親殺害事件もあり、「難しい問題」という世間的認知が広まりつつあるが、ようやく元気になってくると、この鈴木氏のような扱いを受けてしまう――「元気なくせに働かないのか」と*1。 ▼「元気なのに働く気がないのは異常だ」という、鉄のごとき先入観。 この番組(この放映部分)では、個人レベルの「態度」だけが問題となっている。
  • 鈴木氏の状態は、「ひきこもり」のキツイ状態とはずいぶん違っているが、ひきこもり支援から見れば一つの目標像とも言える(お金の問題を措けば*2)。 オタク的な趣味を持っていて元気そうだし、家庭内暴力はなさそうだし(洗浄強迫などの強迫症状もなさそう)、自分で小遣いまで稼いでいる(社会的行為がある)。 ▼美少女フィギュアなどが見えるが、ひきこもっている人で「オタク」的な趣味を楽しめている人はどれくらい居るのだろう。 重度にひきこもっている人の多くには、このように優雅な余裕はない。 「24時間オン」の緊張状態にあり、「働いてかえって楽になった」という声すらある。 ▼多くの人が引きこもりを「うらやましい」と思うのは、ひきこもりをこの「鈴木さん」のようにイメージするからだと思うが、ご家族が許すのであれば、またご本人に苦痛がないのであれば、この状態そのものに問題があるわけではない。
  • 「世のため人のために働こうと思わないのか」「単に生きてるだけでは、何のために人間として生まれてきたのかわからないだろう」というのは、そう語った河上和雄氏の生活感情を支える「信仰」のようなものだと思う。 だからそれを強要される謂われはないが*3、ただ現実の社会で河上氏のような信念(信仰)を持った方が大勢の決定権を握っているのであれば*4、「働こうと思えばいつでも働ける」と悠々自適に構えることはできず、トラブル覚悟の姿勢が必要になる。
  • マクロなレベルにおいて「制度設計」や「世間」にどのような指針を求めるかということと、ごくミクロな人間関係や組織においてどのような振る舞い(交渉契約関係)を要求するかは、切り分けて考えるべきだと思う。 世間が「ダメだ」と言ってもご家族(所属する小集団)が「構わない」と言えばそれでいいだろうし、制度が「構わない」と言っても小集団が「ダメだ」「無理だ」なら他の帰属集団を探す必要がある。 ▼制度や「世論」のレベルはなるだけ寛大にしておいて、ただ個人レベルの判断はなるだけ尊重する(制度はそのための選択肢を用意する)べきだ――というのが、今の私の指針というか発想*5。 だから、「私人間の交渉・契約」と、そのための環境整備がすごく重要に思える。 ▼ただし多くの当事者・ご家族は、この「交渉・契約」という社会行為がきわめて不得手。 むしろそこにこそ、問題となる不能・無能力が集約されている。


*1:路上死した野宿者(ホームレス)は許されるが、元気そうに暮らしている野宿者は許されない、というような。

*2:実はそれが最大のハードルなのだが…。 ▼当blogでは何度も触れているが、若い間のひきこもり(不登校)は「価値観」の問題だが、年齢とともに素っ気ない「お金」の問題になる。

*3:ニートや引きこもりは、要するに「異教徒」として現れているのだと思う。

*4:【参照:「有能だが辞めてもらった理由」】

*5:それが公共哲学などでどのような立場に相当するのか、具体的にはどのような施策や支援案に帰結するのか、を勉強・検討中。