「この世は戦場」

  • 斎藤環氏がよく口にする≪去勢≫という精神分析の用語は、「一定の不自由をインストールすることで、限定的な自由を手に入れる」ということではなかったか。
    • 「生き延びたい、でも≪労働=戦争≫はイヤ」はあり得ない。 それは幼児的な万能感の追求にすぎない。 → だとしたら、生き延びるためには、私たちを≪労働=戦争≫に駆り立てるための、洗脳的インストールが必要ではないか?


ここまで書いて気付いた。

何のことはない、「働けない」のは、形を変えた「症候的徴兵拒否」ではないのか。 「働かなかったら死ぬぞ」という警告は、国家に強制された「軍隊に入らなければ殺すぞ」ではなく ―― つまり権力の強制によって死が押し付けられるのではなく ――、「金がなくなって死ぬ」という、なしくずしの事態、つまり自然現象のような不可避の事態に過ぎない*1
これに抵抗する時に、「覚悟を決めて戦場(資本主義競争社会)で軍人(労働者)として生き延びる」のか、それとも「戦場以外の場に活路を探す」*2のか。 → おそらく「両方」なのだろう。 ある程度は軍人であらざるを得ないし、ある程度は複数の≪別の場所≫*3に身を置く。 そうやって凌ぎながら生きていくしかないということか。


でも、「生の世界そのものが戦場」と感じているとしたら…(僕はそれだ)







*1:社会的弱者が生まれているのは自然現象ではないから、問題のある言い方だが、ここではひとまずこう書いておく。 「社会を自然のように言い、自然を社会のように言う」という批判表現があったっけ。

*2:一例が地域通貨

*3:フロイトを思い出す。