「社会的弱者は死ぬことも許されませんか?」(id:bluedeさん)

誤解を恐れずにいえば、最近の自殺者を減らそうとする政府の活動にはどこか違和感があるんですよね。厳しい増税・自己負担を国民に課し、賃金を大幅にカットして過酷な労働を強制する一方、そういった雇用環境で受けた被雇用者の苦痛や疲労をメンタルヘルス精神安定剤などの処方で和らげようとすることは本質的な問題の解決ではなく、ごまかしでしかないでしょう。

いじめ、モテ・非モテ問題などでも同様でしょう。人によっては・・・侮蔑・虐待・搾取の対象には死んでもらっては困るわけです。

先日紹介した生田武志氏の「カフカの階段」は、あくまで「いす取りゲーム」とセットになってのものだった*1。 つまり、決死の思いで「階段」を上り「復帰」しても、そこに待っているのは以前と同じ過酷な「いす取りゲーム」、つまり優勝劣敗の生き残り戦争。 ▼ひとたび「ひきこもり」に落ち込んだ者は、もう死ぬまで「侮蔑・虐待・搾取」の対象として社会に必要とされている――そういうことか。 現実的に言って、スキルのない引きこもり経験者が“社会復帰”したとて、それは冷遇と放置の対象でしかないのではないか。
何度でも繰り返し言うべきだ。 「社会を変えてゆく」必要はあるし、そのためにできることもしたい。しかし、それは僕やあなたのために「間に合わない」かもしれない。 どんな社会でも、「全員を救う」ことはできない。 ▼生き延びるためには――生き延びなければ活動もできない――、既存社会のルールのままで自分を専門特化し、「勝ち残る」必要がある、少なくともそういう要因を無視して生き延びられると夢想するのは、命取りだと思う。 生き延びるための努力と、環境を改善するための努力は、並行する必要がある。*2



*1:生田武志氏よりのご指摘

*2:このことも、もう何度も論じている。 要するに、これは僕が自分に言い聞かせている。