「仲正昌樹×北田暁大トークセッション」 【レポート:id:kwktさん】

左翼の疎外論的で本質主義的な問題設定*1は自己目的化されていく危険性が常にある。被害者・正義の立場に立っているという想いが暴走するメカニズムは全体主義とあまり変わらない。思想の実践の場に潜むロマン主義的な危険性・陥穽を考慮しなければならない。

疎外を糾弾するロマン主義自体が、生身の人間の「亀裂としての声」を疎外してゆく。
不登校の業界には、「当事者の自己決定の瞬間まで、永遠に《待つ》」というロマン主義がしつこくはびこっていて、こういう人が「ひきこもり」の支援者を叩くんだけど*2、そういうものはたぶん理論的なレベルで間違っている。
そういえば仲正氏は、『「不自由」論―「何でも自己決定」の限界 (ちくま新書)』というのも書いてたっけ…。



*1:id:kwktさんによる注】:人間の本来的な姿を暗黙に措定してそこから疎外されている、現在人々を苦しめ「生き生き」できないのは何かがそれを疎外しているからだ

*2:この冊子に掲載されている座談会は、それで物議を醸したわけだ