2004-10-18 いや、そもそも・・・・ こうした問題を考えていると、いつも、「自発/強制」という、あの教育のアポリアにぶち当たります。 強制的要因なしには、(初期における)「教育」というのはあり得ないわけで… ひきこもりやニートという状態は、「自発的に」なのか。それとも「不本意だが、やむにやまれず」なのか。 「自発的」がすべてならば「自己責任」とされ、「彼らへの社会保障や就労支援に税金を使うべきではない」となる。 【社会的に弱い立場に立たされた人間すべてにこれを言い出したら――「彼らが弱いのは、彼らの選択のせいだ」――福祉的支援や環境改善の努力は廃絶してしまう。】 「不本意」ならば何らかの支援が検討されるが、さりとて「強制(矯正)的要因」が介入することは避けられまい。 → 「矯正されることを受け入れる」ことは、かぎりなく 「洗脳」 に近づいてゆく。 「ナルちゃん馬鹿」 と 「自矜(じきょう)の念」 のちがいの微妙さというか…。 働くことは、むしろ矜恃(きょうじ)に関わるはず。 ところがほとんどの人にとって、「働く」ことは「自分を粗末にする」ことでしかない。 なんかこのへんにカギがありそう。