自由――「分離と接続」

立花隆『宇宙からの帰還』ISBN:4122012325 にあった、バックミンスター・フラー*1の印象的な言葉 : 「それぞれの人にとって環境とは、『私を除いて存在する全て』であるにちがいない。/それに対して宇宙は、『私を含んで存在する全て』であるにちがいない。*2

  • 「水の中に水があるように存在する」動物*3と違って、人間は世界から分離されている。
    • 再接続を試みるときに、「課題共有」と「労働」の局面を強調する僕は「象徴界的」であり、「自然との一体感」「共同体感情」などを強調するのは「連続性の想像的回復」ということか。
    • 東浩紀さんが「アディクション」を強調されていたのがとても印象的。
  • 「分離 → 連続性の回復」の再生産が人生の全てだと思うのですが、分離のされ方が「運命」として各人に与えられるとして、「再接続の作法・方法」にこそ、各人の掛け金があるということか。(経済的困窮は、僕らから考える余裕を奪う。)


  • 「自由」の問題を、「分離と接続*4」の問題として考えるのは変でしょうか。
    • 「降りられない社会」は、「降りたが最後 再接続のチャンスはない」ということでしょう(共産圏とかファシズムとか共同体主義とか)。
  • 僕らにとっていちばん切実なのは、日本の社会では一旦ドロップアウトした人間は極端に再復帰しにくいということです。つまり日本は、就労の問題において「降りようにも降りられない」社会だといえる。
    • 「降りる自由」は、人文的にはもちろんですが、何よりも経済的に実現すべきではないでしょうか。「人文的な≪降りる自由≫の条件は、経済的な≪降りる自由≫である」というのは言えませんか?




*1:宇宙船地球号」はこの人が言い出しっぺなんだって。

*2:原文:『Environment to each must be “All that is excepting me.”/Universe in turn must be “All that is including me.”』

*3:ジョルジュ・バタイユ

*4:たとえば宮台真司さんが語っていた「政治からの自由と政治への自由」は、「分離の自由と接続の自由」ですね。