「絶対的貧困」

あまり言うと、また「左翼だ」とか安易なレッテル貼られそうですが・・・。

  • マルクスは、「①自分という労働力商品を自由に売りさばける ②あらゆる労働条件から切り離されている」という「2重の自由」に陥ったプロレタリアを≪絶対的貧困≫という言葉で形容していたと思う。つまり「外部に追いやられた存在」とその「再内部化」のダイナミズムに希望を見出していたということか。
    • しかし労働者は(おそらく左翼系の社会運動のせいもあって)マルクスの言うような形では「絶対的貧困」に追い込まれず、だから転覆要因にはならなかった、というのは間違った理解なんでしょうか。


  • 引きこもり当事者は親に扶養されているので、餓死の段階はともかく現在の経済事情としてはまさか「プロレタリア」と比較はできないのですが、当事者の主観事情を説明するのに、「絶対的貧困」というマルクスの言葉はとても魅力的に見えます。
  • 外界の条件としての「主体的労働力と客体的労働条件の分離」*1が内面化された、と考えるのはあまりにもお決まりの発想?*2


  • 「じゃあなぜ日本に突出して多いか?」となりますが・・・・。
    • コジェーヴが資本主義爛熟以後の世界を「アメリカ的動物」と「日本的スノビズム*3」と表現していましたが、今の日本で元気に生きているのが「動物的」*4な人たちだとすれば、引きこもってしまう人たちというのは、絶対的貧困」を空虚な形式として強迫的に反復している人達なのではないでしょうか。




*1:資本論

*2:「存在が意識を規定する」ってやつですね。僕は1987年に予備校の講師から聞かされてずいぶん感動したのを覚えています。

*3:否定性をともなわない、空虚な形式の反復

*4:東浩紀さんの表現