弱者であることと権力の行使

当事者であるという言い方に、(1)「支援されるべき弱者である」という意味と、(2)「紛争や力関係の責任を負っている」という意味の両方があって、弱者支援の文脈では前者ばかりが強調されるが、実は支援される側についても、後者を考える必要がある。
自分の弱者性を強調することは、自分との関係に巻き込まれた相手に、降りる自由を禁じてしまう。この「禁じる」ことに権力があって、そこで責任や正当性が問われる。(ひきこもることは、親密圏のメンバーに「降りる」ことを禁じてしまう。)
弱者であるという意味での当事者性は、本人が降りようと思っても降りられない。すぐにでも降りられるならそれは不当な弱者性の強調であり、他者を不当に威圧することでしかない。(弱者性=当事者性を関係の中で捉えず、実体化すれば、不当な特権化がはじまる。不当な威圧にすらなり得る。)
弱者性の強調には、権力の行使が期待されている。権力を期待できないところで弱者性を強調すれば、単に無視されて「されるがまま」になる。